春の夢

 

まるで塀の中とはよく言ったものだ。
取引先の人間が社内を一瞥して一言目がそれだった。経験があったらししい。この業界では珍しいことではなく、逆に名誉という考え方もあるようだ。
馬鹿らしい。
ヒバリは一心不乱にキーを叩いている社員の背を睨んでみた。
これがツナなら、ビクウッと大仰なほど背がはねる。しかしそいつはちょっとだけ肩を揺らし、仕事のスピードを上げただけで特に目立った反応はない。
つまんない。
端から見れば意味もなく不機嫌になったヒバリは、立ち上がってフロアを見回った。低い声で受話器に囁いているかと思えば急に恫喝の大声をあげる者、不穏な数字の並んだ書類を眺めつつ赤丸チェックを入れている者、それぞれが受け持ちの仕事をしている。塀の中の作業場よりかは幾分か音があるけれど、漂う緊張感はきっとよく似ているのだろう。
だが無礼は許さない。
組織の権力を笠に着る考え方を、昔からヒバリは好まない。息をのんだ部下達の前で当然制裁は行われた。取引事態は上手く事が運んだが、あの時の人間は二度と見ていない。

敵は増えた方が面白い。
ヒバリは歪んだ、残酷な笑みを浮かべ、仕込んだ打器の感触を確かめた。使い慣れたそれは自分の手にしっくりと合い、少しばかり機嫌が上昇したところで―――
コンコン、と遠慮がちに扉をノックする音がした。
全員がぞろりとそちらを向いた。





「失礼しま〜す………」
なるべく目立たぬようにそろりそろりと入ったが、中を見てその努力がムダであることをツナは覚った。一ダースもの強面のにーちゃんが眼力をこめて見ている。回れ右して帰りたい。
しかしその中心に立つヒバリの姿に、言わなきゃならない!と決心は強まった。今機会を逃せば一生この人は許してくれない。多分。だって執念深そうなんだもん。
ツナは覚悟を決め、物音一つしないフロアのただ中へ出陣していった。
「ヒバリさん」
何しに来たの、と目が言っている。其処には親しみの欠片もなく、今にも殴られそうな敵意がビシバシ伝わってくる。
修行だ。これは修行なんだ。
リボーンからのシゴキを思い出して、ツナは足を踏ん張った。手に握っている学生服の感触に助けられながら、なるべく気合いを入れて、がばりと頭を下げる。
「あの時はっ、ありがとうございましたっ!」
ヒバリは微かにたじろいだ。
見覚えのあるそれがツナの腕の中で揺れた、のを、確認するように自分の前でその芸術的なつむじを見る。
「思い………だしたわけ?」
「やっぱバレてた」
ツナが思わず言った小声を地獄耳は聞き逃さなかったらしく、一度は驚きに和らいだ表情が再び殺気を帯びる。
「やっ、いえ!えー………」
途端もじもじと落ち尽きなく振る舞い出すツナへ、ヒバリは手を伸ばしてそれを取ろうとした。だがスッと引いて掴み損ねた。
「ダメッ、ダメです!これ俺のですから!」
「貸してただけだろ」
「違いますよ!ヒバリさんが俺にくれたんじゃないですか絶対返しません」
子供のようにムキになり、一つの学生服を取り合って二人はにらみ合った。いい大人が、端から見たらまるっきりアホな光景だが幸いにしてそれを指摘する愚か者はいなかった。皆良くヒバリの性格を掴んでいる。もしくは、叩き込まれていた。

ひとしきりその古びた学生服についての所有権を争った挙げ句、正気に戻ったのはやはりヒバリの方だった。ツナの方はというと半分涙目になってごめんなさいと謝りながら決して渡そうとしない。
「もういい。用がそれだけなら………」
「ま、まだ話終わってません」
「僕の方はないんだよ」
苛立ったようにトンファーを構えられても、ツナはビクビクするだけで帰ろうとしない。
いい加減俺達が行って連れだしてやらないと死体が一つ増えるな………と部下の皆さんが思案し始めた頃、その場の空気を一変するようなとんでもない台詞が聞こえてきた。
「俺が全面的に悪かったです、それは謝ります!だから仲直りしましょうよー」
「嫌だね」
「ぐっ」
「忘れんぼう、薄情者、八方美人」
「おおおおれのどこが八方美人ですか!」
「誰にでもいい顔する癖に」
「人聞きの悪い!そんな覚えはありません」
「してた。仕事先、レストラン、タクシーの運転手にまで」
「仕事は商売で他はみんな必要最低限のお愛想ってやつじゃないですかああ!それを言うならヒバリさんはなさすぎってもので」
「僕が何だって?」
っく―――!と地団駄を踏んで悔しがっているツナを、ギャラリーの半分は驚嘆の眼差しで見ていた。後の半分は今の、聞き間違いでなければくだらない痴話喧嘩の内容とその片方が自分トコのおっとろしい社長である事実に打ちのめされ、開いた口が塞がらず大変間抜けな光景となっている。
「君今も昔も随分流されやすいんじゃない?」
「だとしても伊達や酔狂で言えることと違います」
「その言葉が本心だとは思わない」
「うう疑い深いなあ………ちょっとびっくりしただけじゃないですかっ」
びっくりで呼吸困難になるほど笑うか?
ツナは自問自答しながらも、出来るだけ顔には出さないようにして必死に言い募った。
「俺あれから考えたんです!解決策はすぐに見つかりました!つまり俺が」
「ちょっと」
「上になればいいんですよね」
ドガンと音と衝撃がして、ヒバリの横のパーテーションにまあるい穴が開いた。
「………もう一度言ってみてくれる?」
「ご……ご…ごごか……ごかい…」
「今この場で犯したっていいんだよ」
酷く残虐な台詞と気配だが、周囲の部下達はやっぱりと納得していた。

やっぱこれ痴話喧嘩だ。

ツナはその言葉にしばらく固まっていたが、やがて気を取り直したように静かな顔つきになる。
「ヒバリさん、落ち着きましょう。俺が言ってるのはそういう事じゃないんです。っていうかそういう事だったらご満足頂けるかまるっきり自信がないので」
―――リアルな話をするな。
うっかりそういう場面を思い浮かべてしまった部下の、何人かが恐ろしさに気が遠くなる。
「単純に姿勢の問題でして。あの、ヒバリさんが俺に触るんじゃなくですね、俺からしてみたらどうでしょう」
「………」
「そ、そりゃあ最初は緊張の余りい―――いろいろ、失敗、するかもしれませんけど、その辺は容赦をして頂いてですね、慣れてきたら徐々に段階を踏んで」
「君はそれでいいの?」
じゃなきゃ言いませんよ今更何を。
半笑いで顔を上げたツナはぴたりと表情を正した。
見下ろされている。見定められている。
今彼が問うのは、単純な行動の問題ではなくもっと本質的な質問なのだ。
本気なのかと、彼は訊いているのだろう。
「お、俺―――」

いいのかな。
この人と一緒に居たいなあって思うのは、憧れの延長線にある錯覚なのかもしれないのだ。
小さな中学生のつなよしが、こんな風になりたいなあと思っていた過去だけかも。いざ始めたら、また前みたいに笑いたくなったら?今度こそこの人は許しちゃくれない。絶対に。

自信がない。
昔からの癖みたいなものだ。土壇場になると自分の選択に自信がもてない。人に頼る逃げ出す。問題自体見なかったことにする。
いろいろいろいろやってきた。
でももうこの問題は逃げられないし、答えを出すしか道はない。

ツナはなるべくヒバリの真っ黒い目を見るようにして、頭に最初に浮かんだ言葉を喋った。いい、です
俺、


「ヒバリさんがいいです。前からずっと好きだったんですたぶ」


ツナの言葉は途中で途切れた。ポカァン、と口を開けてアホ面を晒してしまう。
見事なまでに真っ赤に赤面したヒバリという珍しい光景を目の当たりにしたせいだ。
そして周囲で固唾をのんで成り行きを見守っていたヒバリの部下達も、「うっ」だの「ぐっ」だのと口々に呻いて机へぶっ倒れた。

「たぶ…?」
「なんでもありません!」
大慌てでぶんぶんと首を振るツナは、やっと此処がどういう場所か思い出したのだ。
ヒバリの会社の社員達はピクピクと断末魔の痙攣を起こしており、今の今まで自分とヒバリが怒鳴り合っていた内容を考えると、大変申し訳ないことをした。
これ以上恥の上塗りをする前に、速やかに撤退するべきだ。
「じゃ、じゃあ―――そーゆーことでグエッ」
「………」
くるりと後ろを向いて戸口に走りかけたツナの襟首をヒバリが掴んだ。無言のまま引きずってずんずんと奥の自室へ入り、バタンと扉の閉まる音が部屋中に響く。
その場を沈黙が支配した。





「帰るか………」
「そうだな………」
「俺もそうする」
疲れたような声とは裏腹に、社員達は全速力で帰り支度をして事務所をしめ、エレベーターでは全員が一人の無謀な少年(まだちっちゃいのにかわいそうなやつ…)の無事を祈った。

後に彼等はその少年がイタリアどころか世界屈指のマフィアのボスである事を知るのだが、この時はカタギの癖にあの社長と付き合うだなんて見た目に合わずたいした度胸のガキだとひたすら感心したのだった。


2005.9.24 up


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