壺中ジン
店に入った途端、場違いな空気に戸惑った。
普段人気のない一階の輸入雑貨店が、大層賑わいを見せているではないか。それも若い女性ばかり。
(もうそんな季節なのか)
少し経って思い当たった。そういえばもう2月も半ばである。
この時期になれば百貨店からコンビニに至るまで、菓子売り場はバレンタイン一色になる。いつもは産地不明の蜂蜜だの、得体の知れない缶詰を売っている殺風景な売り場がハートとひらひら飾りにまみれていた。へえ、そういう事もやるんだあの店は。
(まー俺にはカンケーないけどね)
綱吉はさっさと其処を通り過ぎようとした。彼の用があるのは三階なのだ。
合間の二階は占いが入っていて、此方は普段でも結構客が来ている。今もチョコを求める人が興味ありげに覗き込んでいて、そのうちの何人かが階段を上がっていくのが見えた。
その後に続く――勿論行き先は違うのだけれども。
店の前に小さな看板が立っていた。恋愛成就のお守りがどうとか…
「今なら特価、七百円」
「うわっ!?」
不意に耳元でした声に、ぎょっとして振り向く。
見るとフードを目深に被った男が(多分そうだろう。声が低かったから)、綱吉の目の前に小さなガラス玉のような物を突きだしていた。
一見婦女子が好む可愛らしい土産物みたいに見えるソレに、自分の用事はなさそうだ。
「そう…なんですか。ははは」
無意味に笑って後退った綱吉に、男は薄笑いを浮かべて言った。
「お守りには興味ない? なら此方は? 超特価三千円」
「高っ!」
思わず本音をぶちまけてしまう。
しまったという顔をして男の様子を窺うと、相手はクスリと笑った。思いの外若い。こんな怪しい格好をしているから、分からなかったけど。
(あそこの占い屋って、こんな格好してるんだ…)
男が差し出したのは素焼きのツボだった。
片手に収まってしまうぐらいの小さなものだ。造りも粗末だし、これが三千円もするなんてなんの悪夢かと思う。
「何が入ってるんですか?」
かえってその質素さが綱吉の興味を引き込んだ。つい口にしてしまった問いは、帰りの電車賃を除いて財布の中に丁度それだけ入っているという事実を意識しつつで――まさかそんな馬鹿な事はすまいと思いながらも。
「願いを叶えるジンが」
「え、お酒?」
「そっちじゃなくて。精霊っていう意味だよ」
不意に男がうんざりしたような声を出したので、綱吉は慌ててポケットの中の財布を取り出してしまった。なんだか妙に胸騒ぎがしたのである。
「極端に熱いとか寒い所に置かないでね。たまに風入れてやって、水は一日二回朝晩に。それじゃ」
「え」
まるで植木のような事を言って、男は金を握りさっさと上がっていってしまった。
後には呆然とした綱吉と、相変わらずの騒ぎばかり残っていた。
ええと、これはつまり…
「行け…ないな?」
綱吉の頑固な毛根を唯一宥める事が出来るこの町唯一の理容師の店が三階に入っているのだが、今日お願いするのは無理なようだった。
小さなツボをポケットに入れ、電車に揺られつつ綱吉は自分の馬鹿さ加減を呪っていた。
こんなガラクタに三千円の価値がある訳ない。この大きさでは花を飾ることはおろか小便ツボにすらなりはしない。
小汚い麻の蓋の中身は何だろうか。振っても物が入っている気配はなし、あっても軽いもの。金になりそうでもなく…
(バカじゃなかろうか)
なんでこんなものを欲しがったのか、自分でも本気で分からない。
きゅっきゅと小さく握り込みながら改札を出て、住み慣れた町を歩く。家まで戻る道を。
(こんなもん)
人気のない裏道で取りだし、まじまじと眺める。薄汚れたガラクタ。ポケットの埃かなにか、くっついて…
「ふっ」
小さなゴミを吹き飛ばすと、緩く留めてあった蓋もずれた。
頭から覗き込もうとした綱吉は、薄い煙が夕暮れ空にたなびき、徐々に濃くなる光景に気付かないでいた。
「呼ばれて飛び出っ…ハーックショイ!」
「まさかっ?!」
頭上からした声に、綱吉はぎょっとした。聞き覚えのあるようなないような微妙な台詞である。
「うわっ、寒っ! マジ寒! チクショー何処だよ此処ぁ!」
「なんだ…?」
上を見上げた綱吉はそのまま卒倒しそうになった。
アラビアンな格好をした得体の知れない青年が、薄赤い空にぷかぷか浮かんでいるではないか。
「うわあああああ!」
「なにがうわああだこっちの台詞だぜっ」
「あいだっ」
ガツンと顎を蹴られ、仰け反った綱吉をその青年は忌々しそうに睨み付けた。
正確には青年の姿をした何か、だ。ただの男が宙に浮かべる筈はないし、その姿は風を受けてゆらゆらと揺れ、光の加減では一部が透ける。
「おいテメー」
「うごっ…」
「今度は幾らでオレを買いやがった?」
「えっ…三千円?」
「さんぜんえん〜〜〜!」
青年はキー!と唸ると、ひとしきり空中で暴れ回ったので綱吉はその場を飛び退く。
また蹴られるのはごめんだった。
「っくしょーマーモンのやつ、オレを誰だと思っていやがる!」
「だ、誰ですか?」
「オレは…」
その瞬間、それまで意気揚々としていた青年の調子がピタリと止まった。
言おうとしては口を閉じ、自らの口を抓ったり苛々と爪を噛んだり、なんとももどかしそうな仕草の後ぷうと膨れて綱吉を睨む。
「…ジンだ」
「なんだって?」
「ただのジンじゃねぇぞ! すげーえ、身分の高ーぁいジンだ。力も強いし頭もいい」
「はあ」
「なんだか文句ありそうなツラだな」
力が強いはともかく、自分で頭がいいと言うような輩は、それは…
(どうなんだよ)
本当のバカがバカですと言わないように、頭がいい人間は自己申告しないと思う。
綱吉は限りなく胡散臭さを感じて、それでも曖昧に肩を竦めて誤魔化した。
「文句なんてないですよ。文句はないですけど…」
「なんだよ」
「俺、三千円払ったんですけど。その…あなたに。何かいいことありますか?」
「いいことして欲しいって? いやそりゃきけねーってオレにもタイプってのがあるし」
「そうじゃなくて…俺もその、男は困るんですけど…」
「あんだとう」
自分ではブーブー言っといて、ジンとやらはギロリと睨んできた。
「だから、俺三千円払って何か得ありますかって! そういう意味で」
「あるよ」
青年は――青年の姿をしたジンは軽く言ってのけた。
ツナが眉を顰めると、フンッと鼻で笑って腕組みだ。
「何が望みだ? 言えよ、聞いてやる」
「願いを叶えてくれるって、アレ?」
「まあオレが気に入った願いならな。気に入らない奴を殺すとか、切り刻むとか、この世の全ての拷問を実行するとか」
「そういうのとはちょっと違うんですけど…」
綱吉の顔が赤らむ。ジンって、多分あのアラビアンナイトとかに出てくる精霊の事だよな? 願いをかなえてくれる…じゃあ…
「え、縁結びとか」
「はぁ〜〜〜? くうっだらねぇー! そんなもん、日本人なら神社にでも行けよ」
「そういう気の長い話じゃなくてさあ!」
「めんどくせえー。チェッ、テキトーな女攫えばいいんだろ?」
「攫うのはマズいだろう! じゃなくて、もっとこうソフトに」
ポッ。
顔を朱く染めた綱吉を、ジンは面白くもなさそうに見る。
(出来たら…そう)
綱吉には中学校の頃から憧ている女性が居た。
憧れが過ぎてロクに会話も出来ないまま卒業してしまったが、彼女はまだ同町に住んでいる。時々姿を見かける事もあった。
「知ってる人なんだけど、上手く話しかけられなくて」
「フーン」
「大したことじゃなくていいんだ。もっと自然に話せるように…とか、せめて相手の子が俺のこと覚えてくれたら…」
「はああああ?」
ジンは顔をズイと突き出し、綱吉の鼻先三ミリまで迫った。
どうでもいいがこのジン、前髪が長すぎて表情が分からない。多分呆れているのだろう。
「だめ?」
「バッカじゃねえの、お前。ンなのラクショー」
2009.2.21 up
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