壺中ジン

 

 自分の何処にそんな力が眠っていたのか。
 綱吉は全力で腕を振り払い、全力で逃げ出した。普段足は決して速い方ではないのだが。
「すっげー、尻に火ィついたみてーだな」
「他人事みたいに言うなあああ!」
 まるで分かっていないジンを睨み付けると、悪びれぬ顔がぺろりと舌を出す。
 綱吉は必死で隠れ場所を探した。そろそろ息が切れ始めている…よし、ここだ。
「うりゃっ」
 空き地に積まれたドカンの中に隠れる。
 息を詰めて何秒間かのうち、自分のそれとはうってかわって軽快な足音が、「どこだ!? 何処へ消えたオレの運命の相手!」という不穏な発言と共に去っていった。
「ふううう…」
 溜め息。
 そして沈黙。
「お前が悪いんだからな」
「なんでだよ!」
 この性悪ジンの態度には、まったく反省の色が見られない。
「お前が余計な事まで考えたから」
「そりゃ、事前に説明とかあれば努力したよ?! けどいきなりだったじゃないか!」
「かったりー願いするてめえが悪い」
 ビシリと指差しをされる。
 その勢いでうっかり頷いてしまいそうになるが、違う違う。まるっきり間違いだ。
「俺のその…かったりぃ、ささやかな願いも叶えられないんじゃな…ふう」
「あん?」
「はあぁ…」
 綱吉は怒るより呆れてしまった。
 その態度がかえって相手のプライドを傷つけたらしく、形相を変えて迫ってくる。
「じゃーもっかいやってやるよ! ああやってやる!」
「ホント?」
「今度はちゃんとやれよ! バカドジ踏むなよ!」
「うん!」





「……で?」
 綱吉は、今度は懐かしき中学校の校庭の隅で茶色の樹皮を見つめていた。
「伝説の木の下?」
「なんか文句あっか」
「文句はないけど…なんか古くない?」
「黙れ」
 えらそうな腕組み、居丈高な態度にも慣れてきた。
 綱吉はハイハイと適当な返事をして、心を期待で埋め尽くした。
「今度は失敗するなよ」
「分かってますって」
 そう、彼女の存在をいきなり思い浮かべようとするのは無茶だ。
 これはやはり段階を踏んで、ゆっくりゆっくりやるべきなのだ。
(入学式…クラス発表…)
 少々戻りすぎたので、早送り。
(最初のクラス替えの時、一生懸命名前捜したっけな…)
 調理実習、バレンタイン、体育祭に文化祭。
 彼女との思い出(自分は見てただけなので少々一方的ではあるが)を辿っていく。
(一番心に残っているのは…)
 遅刻ばかりしていた綱吉が、教室に入る時クラスメイトがからかったり、クスクスと笑う中、彼女だけは『大丈夫?』と心配してくれた。
(そう…すごく性格の良い子でさ…)
 少々表現は古いが、クラスのマドンナ的存在で…

 そこまでは順調だった。
 しかし、"遅刻"というキーワードがいけなかった。

「よし、来たぞ」
「えっ?!」
 綱吉は慌てた。一瞬違う事を考えてしまったから。
 遅刻と言えば、綱吉の通う並中は先生よりも委員会が怖かった。
 風紀委員が絶大な権力を握っていて、遅刻のペナルティをしょっちゅうくらったものだった…って…

「其処に居るのは誰?」
「あああああああ」

 綱吉は頭を抱えてその場に蹲る。
 ジンが透ける足で何度も自分の頭を蹴っ飛ばしているのが分かった。痛くはないが心が痛い。
「不審者だね」
 伝説の(そんなものがあったかどうかは定かではない)木の向こう側から現れたのは、黒いスーツ姿の男性だった。
 綱吉より年上だが、そう離れては居ない。そしてその顔には見覚えが。
 相手を認識した途端、綱吉は必死で弁解を始めた。
「ち、違います! 不審者ではないです卒業生です〜!」
「卒業生だろうが何だろうが、敷地内に無断で入るのは不審だろう」
「ヒッ」
 並盛中学風紀委員、そのトップに立つ男。雲雀恭弥。
 年月が経とうともその風格には些かの衰えもなく、というか寧ろ増していて、綱吉は一目見るだけで腰が引けてしまった。
 基本的な顔立ちは変わらないまま、けれど迫力がとんでもない。
 明らかにその筋の人である。いや、知らないけど。なんとなく気配が。
「ん? キミは…」
 雲雀はゆっくりと(それがまた怖い)首を傾げ、目を眇め、綱吉の顔をまじまじと見つめた。
「キミの顔には見覚えがある」
「っ…」
 これもジンの魔力なのだろうか。
 側に浮かぶジンにこっそり視線をやると、肩を竦めて首を振る。力は使ってないらしい。
 つまり――単に遅刻しまくってたから覚えられてるとか?
「は、はいそうです。卒業生なので……アイタッ?!」
 唐突に綱吉は殴られた。
「ふむ、だんだん思い出してきたぞ」
「えええええ」
「もう少しやれば完全に思い出すだろう」
「うわあああ!」
 綱吉は先程のように、電光石火で逃げようとした。
 しかし今度は相手が悪かった。雲雀は凄まじい足捌きで綱吉の逃走方向に回り込むとトンファーを構え、完全にボコる体勢。
「た、助けて!」
『バァァァァァッッカ!』
 最大限の罵声を浴びせながら、ジンは綱吉の手を取った。
 あ、感触がある、と思った途端周囲に煙が渦巻き、綱吉の姿は其処から綺麗に消え失せた――
 正確には宙に浮かんでいる状況。
(助かったぁ…)
『バァァッカ! バーカバーカ!』
 ジンはやたらとバカを喚いているが、雲雀が不思議そうに周囲を見回す光景にやや満足を覚えたらしい。
『フン』
 鼻で笑ってスイスイと上空を滑り出す。最初は地面から五メートルほどの距離だったのが、どんどん上へ上がっていくので綱吉は怖かった。
「ちょっと昇り過ぎじゃないか」
「怖いのかよ? フン、手ぇ放したら落ちるからな」
「うわあ!」
 思わずしがみつくと、重いだの気持ち悪いだのと悪態のオンパレードだ。
 ジンの罵声を浴びながら、綱吉は遙か下に広がる並盛町を見下ろしていた。
 さて、彼女の家は何処だっただろうか?


2009.2.23 up


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