再会

 

可もなく不可もなく妥協だらけの進路選択の末選んだ高校だった。義務的に授業をこなしていく中年教師、学校にはひとかけらの興味もない生徒。唯一良いと言えるのは校則の緩さで、此処では格好も関係ない。
もちろんバイトもし放題だ。許可を取る必要もなく(一応決まりがあるらしいが、誰も守らなかった。裁可の判を押す手間すら校長が惜しんだから)、騒がしいクラスの隅で学生生活をやりすごした後まっすぐ狭い更衣室の裏口に泥だらけの靴を突っ込む。
バイト先は小さい。狭い。わずか八畳ほどの店内にぽつぽつ展示されている商品と値を見れば、到底これではやっていけないことが分かるだろう。表向きは中古PCやパーツの販売、しかし裏では輪ゴムで束ねられた札束が行き来している。あからさまに怪しい。
階下のゲームショップの方がまだ健全で店構えもまともだが、かわいげのないガキで埋まっている。経営者は同じで、面接時にどちらでも構わないと話をふられたので暇そうな上を指した。時折かかってくる不気味な電話の対応と、滅多にない商品の包装(こんな店でも売れるときがある)、その他はたいがい店の掃除をしている。ように見せる。
大概は裏に引っ込んで出てこない店長の替わりに、店番をして来客を知らせるだけの仕事なのだがその日は違っていた。ゲームショップのバイトたちはタイムカードをガシャガシャ言わせているが、ここにそんなものはない。いつものように来た時間をボールペンで乱暴に書き殴り、暗いので電気を付けた。
「何してるんですか」
「まぶしい………消してぇー」
更衣室に大の字になって店長が寝ている。目は真っ赤で、徹夜と分かる。割といつもだが問題はいつからの徹夜かということだ。
「寝ないと人間死にますって」
「違う違う。寝たら死ぬね」
「遭難ですかそれ」
「ちょ………も、限界」
30前の無精ひげ、ざんばらな髪、手垢にまみれた眼鏡。どれ一つとっても異性に好かれる事などないだろうと思われるのだが、案外そんなことはない。若い女性が店の裏から出入りするのもしょっちゅうで、その後今日は帰って良いよガララと店が閉まることも決定だ。
「店長」
「ごめん誰か来たら起こして」
耳の脇に傷がある。
よれたシャツの中も、ぎょっとするような身体付きをしている。
とりあえず消す。

真っ暗な部屋を出て店へ出る。流石に電気はついていて、モニターが延々同じスクリーンセーバーを流しているが、一つ一つずれているので統一感はまるでない。裏でくたばっている店長を起こすのも気が引けるということで、本日の仕事はカウンターに座って金の入っていないレジの上の謎の伝票を整理することだった。
黙々と仕事をこなし、整理してファイルに挟む。機械的な単純作業に向いていると思う。飽きない。もしくは気付くまでに時間がかかるのだ。
べらべら紙をめくっていると考え事がとめどなく溢れてくる。

中学生の時、なんだかよくわからない権力闘争に巻き込まれた。
その時から目立たない生徒でやってきた。勉強も運動もできなくて、クラスの隅でそっと愛想笑いをする存在感のうすいやつで十分だった。よく考えれば腐ったガキだ。
それが一変したのはとりあえず目に映る限りの男子生徒にガンをつける変わった転校生と妙な成り行きで関わりあって、1年なのに野球部のレギュラーを決めたクラスのヒーロー的存在と友人となり、学校名物とまで言われた暴力的風紀委員長に目をつけられた事から始まりそれに更に時季はずれの転校生3人組。上級生。
生徒会長を差し置いて学校を仕切っていた風紀委員長と上級生転校生3人組が(正確には上級生2人に同学年1人の内わけ)丸ごと全部を巻き込む大権力争いを繰り広げ、学校は戦場と化した。全然関係無いのに嫌がらせの如く担ぎ出されて2年で生徒会長をやった。
あの、中学生とは思えないブラックでダークな2人に挟まれてああしろこうしろと責められる日々は胃が痛かった。3年になってそれがいなくなってから、これ幸いとさっさと下りた。後でたっぷりお叱りを受けたが腹を抱えて耳を塞いでスタコラ逃げた。
そのまま何もかもから逃げ出して、中学の俺を誰も知らない学校でひっそりやっている、

と。

べつに、

あのままいてもよかったんだけど、

それじゃ息詰まりそうだったから。
俺は変な所で強情だから、皆から注目されるも息をするにも許可がいるようなあんな場所は嫌で嫌でしょうがなくて。逃げた。卒業式、待たずに逃げた。

扉が開く音。
「いらっ………しゃいませ」
滅多に客のこない店だから声が出ない。上に、鈍い。考えも足りないこんな時なのにぼーっとしてた。
暗がりからぼうっと浮かび上がってる何人もの人影が視界に入るなり危険信号が黄色で回転。ヤバい人たち―――
「店長、出せぇ」
立ち上がる前に殴られた。景気づけみたいなもんで、ダシにつかわれただけと分かっていても痛いから痛いから痛いから。部屋の隅まで転がって蹲る。腕、だらりとさせる。
ドアを見つけてどかどか踏み込んでる音と、店長の短い声がした。逃げんなコルァとか聞こえてるから心配ではない。なんとか上手くやるだろう、そういう人。

じゃ俺は。
更衣室に置いたままの学生服と鞄の事が無性に気になった。
死んだふりも限界だ。
何聞かれても知らないけど、でもまだ殴られるぐらいは覚悟するべき。

「大丈夫?」

予想外。声をかけられた。
しかも知ってるっぽい。頭ガンガンしながら鼻を啜ると、ぬるっとした感触が手についた。
鼻血出てる。
「怪我」
「ないです」





一緒の2年同じクラス後ろの席。
面白がって構うあの煩い人でも、笑ってるけど笑ってないあの人でもない。
勉強できる。運動も実は。目立つ人たちと一緒だから目立つけど実はやっぱり目立たない。内心うらやましいってずっと思っていた筈だ。
なぜこんなにうしろめたいのか。

何故か怖いひとたちの一番最後から来たこの人は、いったん奥へ引っ込んでガタガタ物音させてそれから俺の制服と鞄を持って出てきて外へ連れ出してくれた。コンビニのお茶で口をゆすいで、制服のポケットに母さんが突っ込んだティッシュで鼻を拭いて、合間に顔色をうかがって勿論聞きたいことは幾つかある。どうしてあの人たちと一緒に。店長は。しかしそれ以上に訊かれたくない、特に今の自分のことなどみじめになるだけだ。
帰る。
けど家じゃない。俺はまだ鼻血が止まらないし、この人の足も止まらない。掴んで引かれた手が異常に熱い。

今度こそ本物の店が建ち並ぶ電脳街まで来て、そのうちの一軒の地下に潜る。埃と得体の知れない何かにまみれた汚い店と店の間を過ぎて、息苦しいぐらい空の狭い切り取ったような真四角の空間に出る。そんな場所なのに一軒、古い和風っぽい家が真正面にあって戸惑って足を止める。引きずられる。
「待って」
鞄も制服も手からこぼれたままその場にしがみつくけど、結局かなわないで家の中に運ばれる。冷たい木の廊下もがらんと人気のない暗い部屋も夢みたいにあやふやで、どこからが本当でどこまでが夢か妄想なのか。広い和室を過ぎて奥は唐突に洋風の木のドア、開けて驚く。壁一面積まれたマシンとモニターの青白い光、床を埋め尽くすケーブル。
店より多い。
「ここ、うち?」
口調が幼くなっている。俺は驚きすぎて笑い出したくもなる。
無表情のままちょっとだけ、彼の口元が歪んだ。
「話をする気はない」
奥のベッドに散乱した畳んでない服に持っているのと同じ柄の違うサイズのやつを見つける。放り出されて間近でみると、まだあせてない。多分買ったばかり。
「血ぃ止まんない。汚しちゃうよいいの」
「…別に」
ぐっと顔を押しつけられる。痛みは無いけど血の味が鼻と口中にして気持ち悪い。店のエプロンをくぐって前にもぐった手がベルトとジッパーを外して中へ潜り込んだ駄目だ。
苦しい。
「おれ男だし」
「知ってる」
知ってるんだ。
でもするんだ。もうめちゃくちゃ
「なんで逃げた?」

 

尋ねられても分からない。多分一生分からない、おまえなんか。
いじけた気分で振り向くと腕を取って捻られた。洗濯物の匂いがする。洗剤の。他人のものはちょっと嗅ぎ慣れない。
「痛い」
答える代わりに首を振る、否という。別に、もう一度彼は言う。本当だろうか、言葉は酷く乱暴だ。
無表情で観察するような冷静な視線を据えて手を動かす。胸や腹を撫で、一方は下にもう一方は乳首を執拗に擦る。下着に入り込んだ指がぐりぐりと先端をいじめてつまむ。
「あぁ、う」
我慢出来ずに声が漏れた。セックスをしたことはなく、自分でするのが精々で、他人の手など知らない。背に触れるか触れないかぎりぎりの所まで近い他人の体温というのは、思ったより気にならない、それより、口が。声が。息。
「ひ…」
耳の中に濡れた舌がねじ込まれ、くちゅりと音を立てた。チロチロとくすぐるように耳朶を舐めて噛んで、ぢゅっと吸う。好き勝手しやがって。
「せん…ぱいは……」
「俺のうちだけど」
「で、も」
急に動きがねちっこく、強くなった。
「心配?」
………ぁあ。
中学時代、そんなことをされかけたこともあったっけ。
ふざけてただけだと思うが、それでも風紀委員長が足で扉を蹴り開けて(彼はあんまり手を使わなかった)生徒会室に入ってくるまでは完璧に信じて怯えていたのだ。正直怖かったし、気持ち悪かった。ショックでもあった。
「別に」
口癖が移ったみたいでおかしくなって、笑う。
ぎゅっとされた。
「来ないから」
安心しろっていうの?


転校生の〜で始まる紹介は2度目だなと。
前の時はその目つきの悪さとバシバシ威嚇してるのがただ、ただ、怖くて、目を合わせられなかった。なりゆきでつるむようになってからもしばらくは怖くて、実は未だに怖いかもしんない。(嫌いじゃないんだけど)
ちくさ、って名前が女の子みたいで綺麗だと思った。
まだ届いてないからって前の学校の制服で、ぼーっと立って、先生が自己紹介せんのかって言ったら馬鹿にしたみたいな目で見たのがああこの人絶対頭いいんだろうなって思って。俺はどっちかっていうかまんまバカだったからそれだけで人種違うって意識で柵作る、いつもみたいに通り過ぎる筈のその日。
なんでか知らないけど転校生と一緒に帰ってた。

席が近くて、次の時間が教室移動で、俺は今にもさぼりそうな彼とぴったし目が合ってしまったのだ。最初に交わした言葉は次理科室だけど行く?なんていう。死ぬほどどうでもいい。
だからちょっと笑って、そのままの流れで一緒に歩いてた。ぽつぽつ話してくれたので、俺も中学生らしく視野の狭い自分の興味だけの話、つまり放課後主に何処で何をするかみたいな雑談をして、そこから攻略中のゲームの話になって………思い出すとほんとくだらないんだけど、話題は合った。彼は俺をバカにするようなことも自分の話をするでもなく淡々と言う。ネタバレ禁止?って訊いてくれるのが親切だ。喋る前にちょっと考えてるのも。
隠しコマンドや技の話でひとしきり盛り上がった(端から見たら全然盛り上がってないだろうけど!)後、俺は生まれて初めて他人に遊びに来ない?って誘って、教えてよって、なんて積極的な言葉。頷いてくれたのがひたすら嬉しかったっけ。ほんとに、嬉しかった。
放課後二人で学校出て、校門で待ちかまえてたあの二人に会うまではね。


でかくなってやがる。
骨に皮貼ったみたいな細い腕だけど、俺よりは強そうだ。
後ろから抱え込まれるかたちで、起こされる。正面に窓、庭が見えた。
建物の壁の合間にこんな場所があったなんて知らなかった。此処には店長に連れられて何度かやる気のない仕入れを手伝わされたりして、来ている。俺はまだ知識が全然浅いもので聞きかじったそれっぽい単語を流しで聞いて、店長がこうなんだってーとか言うのをさも分かってる見たいにウンウン頷いてるだけの楽な仕事。
そうだ、店長。
「なんであんなとこいたのさ」
もぞもぞ服の中を探ってる手が、変なところでピタリと止まる。絶対わざとだと思う。
恥ずかしくて真っ赤になってるだろう顔を俯ける。扱いたりつまんだり、忙しい指がゆっくりになった。一息つかせてくれそうだ。
「俺も聞きたい」
「バイトに決まってんだろ」
「店長と寝たか?」
はぁ?
「なに言ってるかな、あっ!」
酷い。尻に指つっこまれた。
まだ浅いけど、びっくりして一瞬息止まった。
「あの人普通だよ」
「あいつの商売知ってるなら、そんな事言わない」
「知らない。知らないままがいいって」
店長は怪しいしテキトーだけど、親切だ。金払いだって悪くない。
「………裏モノ専門のコピー屋」
「聞きたくなかった、の、に」
指がぬるぬるする。前もぬるぬるだ。ぐちゃぐちゃ弄られて気持ち悪い筈なのになんでだろ、頭の後ろからキィンと鳴る。あっつくなって、ぼーっとして、出そうになる。
自分でするよりテンション高い。
「たまに自分で撮ってるって………ギョーカイ崩れの厄介なくず…」
ちゅぷっ、と音がして先っぽをぎゅっと絞られて吐き出した。声を抑えたせいでかえってぐえって変な声が出る。
なんで気持ち悪くないんだか。
「俺も…撮ってやろう、か」
冗談のつもりかな。笑えないし。
「俺なんか」
「結構、そそるけど」
正気か。
信じられなかったので、手でうろうろ探ってビビった。掴んだらホント勃ってんだもんな。
「信じらんないよ」
腰持ち上げられたから一応抵抗したけど、そのままズドンと落とされた。
突き刺された。
死ぬかと思うくらい痛いし、多分全然入ってない。
「せま…」
「俺の、せいじゃ、ないっ…てぇ」
「ん」
顔面から洗濯物の海に着地。弾みでジーンズの生地を噛んじゃって、でも丁度良かったかもしれない。犬みたいによつんばいの格好でぶっすり刺されてひいひい叫んだ。
声が全開で出てたら近所迷惑だから。





結局なんだったんだろう。
好きだとか恋愛じゃないことは確かだけど、まるで分からなかった。意味なんてないんだから気にするだけ馬鹿馬鹿しい、泣ける。泣きそう。
女じゃないんだから、さ。感慨深いとかないけど。男だからバージンっていうのも違うと思うし、気分の問題………衝動?多分そんな感じ。

全部終わってハアハア息切らして、俺が手だけで起きあがってああアアこれぜんぶ洗濯やり直しだよって言って、無理して笑ったら。
ずるっ、じゅぽって生々しい音立ててソレ掴んで引いて抜いてだらだらこぼれてるの見つめながら、千種がぽつりと言った。
「なあキスしていい?」


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