狐のお宿

 

「ココ、いいかな?」
 女二人と温泉に来る男なんて、ロクな客ではない。
 綱吉は引き攣った顔で、かろうじて頷いた。それが精一杯だった。
 何しろ目の前には一糸まとわぬ女性の裸体が二つ。
 無造作に岩場へ腰掛けていたからだ。
「…ええ、どうぞ。コホン!」
 さり気なく視線を逸らしつつ、どういうつもりかと隣の男を見ると、これはかなり機嫌が良く、笑っている。
 そりゃそうか。
 妙齢の女性二人と、しかもどちらもスタイルのいい超美人と混浴風呂に来たらニッコニコになるのも分からないではない…が、やはり此処はタオルで隠すとか、湯に沈むとか、とにかく何かして欲しい。もちろん、嫌いじゃない。嫌いじゃないけどさ!
 いざそういう場面になると大層困るという事が分かった。
「一人で来てるの? 泊まり?」
「はあ」
「へえ。いいね」
 馴れ馴れしい口調だが、不思議と嫌な感じはしない。
 綱吉は問われるままに答えた。
 目の前の女性から注意を逸らす為でもあったかもしれないが。
 初対面の相手にと自分で驚きつつ、良く喋った。


 綱吉がこんな鄙びた山奥の温泉宿で湯に浸かっているのは、怪我のせいである。
 大学が夏期休暇に入った直後、誘われて山に行ったのがいけなかった。
 気楽な山登りと思ったら、これがどうしてなかなか難所で、登山と言ってもいいぐらいの険しい道のりだったのだ。
 当然素人の綱吉はくたくたに疲れ、帰り道では見かけた動物に吃驚仰天して転倒。
 顔面には青あざ、足は捻挫と満身創痍で帰宅したのである。
「まだ痛むの」
「どうも治りがよくないんで…」
 病院に通っても足の痛みは引かず、温泉で怪我をゆっくり癒すことを勧められた。
 父の古い知り合いがやっている宿に、半ば居候のような形で滞在している。


「静かで良い場所だねえ」
 本当に静かなのだった。
 川の側にある露天風呂は温泉本などでも紹介されている有名所だったが、夜の山道は危険なので客は昼間に集中する。
 山奥の奥の奥と言った立地条件に、その上先週の大雨でメイン道路が崩れたから客など来ない。宿の人間はその対応に大わらわである。
 だから風呂はここ数日、綱吉一人の貸し切り状態だったのだ。
 さっきまでは。
(変わった人達だなあ…)
 突然現れた三人の客。
 男一人に女が二人。いずれも若く、家族のような様子もない。
 逆に自分が邪魔なのではないかと思う。
 しかし、男は連れを放って綱吉にばかり話しかけてくる。
「あー、いー」
 湯に浸かりながらううんとのびをする、その仕草は普通の若いお兄ちゃんといった感じだ。
 綺麗に色を抜いた髪。
 しかしその目つきは只者ではない気がした。
 笑ってはいるが感情を映し難い眼。鼻筋の通った、個々のパーツはむしろ繊細なのに、弱々しい印象ではない。
 固そうな腹や厚みのある胸板、筋の浮いた腕は綱吉のコンプレックスを刺激する。なんというか、格好がついている。見窄らしくない。
 その上女二人連れて温泉とはいいご身分である。
「君たちも入りなよ。その為に来たんだからね」
 男の言葉を受けて、やっと女性二人が湯に入った。
 とは言え湯は無色透明であるから、綱吉の目線は相変わらず不自然に浮くことになる。
「あの…此方にはご旅行で?」
「君と同じかな。傷の療養に」
「怪我をされてるんですか?」
 見た目男は健康そのものであり、綱吉は思わず聞き返してしまった。
 それをクスリと笑って、彼はゆるりと首を横に振る。
「この子だよ」
「……」
 二人のうち一人が前にスイと出てきて、頭を下げる。
 そのまま男とは反対の――左隣に座ったから、綱吉は慌てた。
「あの」
「足をやられてね」
 少し動けば触れるぐらいの近さだ。
 腰を浮かせた拍子、視界に白い肌が映る。思わず目を瞑った。
「ああ、構わずに。ゆっくり入っていけばいい」
 男の手に引かれ、また元の位置に戻る。
 混乱を宥めるようにポンポンと、肩を叩かれる。力が抜けた。
「あ、あれっ?」
 ばしゃんと水音を立てて座り込んだ綱吉を、怪我をしているという女性が強く支える。柔らかい乳房が腕にぴたりと押しつけられ、動けずに居る。と、正面からもう一人が――
「わ…あっ!」
 ざばりと湯を滴らせて立ち上がった彼女は、綱吉の上にゆっくりと屈み込んできた。





 声が聞こえる。
 ざわざわと。気配がする。
 綱吉が薄目を開けると、年期の入った板天井が見えた。ここは――宿か。
(俺……どうしたんだ)
 髪が濡れている。
(風呂に入ってて…それで)
 肘をついて、半分だけ身を起こす。
 風通しの良い、広い部屋に寝かされていた。宿の浴衣を着せられているが中は裸である。
「あっ…」
 意識を失う直前の事が思い出された途端、綱吉は怖くなった。
 恥ずかしいとか、いたたまれないという思い以前に。
 あの三人が恐ろしい。逃げ道を塞ぐようにして閉じ込められ、息苦しくなって気を失ったのだ。
(に、逃げないと…)
 焦って起き上がると、するりと襖が開いた。
 身を強張らせて其方を向く綱吉の目の前に、トコトコと白い犬が歩いてくる。
 宿では籠に入れた山鳥を飼っているだけで、覚えの無いその姿に戸惑ったが犬は嫌いではない。手を伸ばす。
 クンクンと鼻先で匂いを嗅ぎ、その犬みたいな動物は綱吉の指をぺろりと舐めた。どうも、足を引きずっているようだ。
「どうした、お前。大丈夫か」
「うん」
 返事した。
 ぎょっとして周りを見た綱吉は、先程の男が気配無く側に立っていたので絶叫――しようとした。
 正確には声をあげようとしたのだが、音は喉から出てこなかったのである。
「静かに、ね。もう夜だから」
「な、な、な」
「おいで」
 最後の言葉は綱吉にかけたものではないようだ。男の後ろからトコトコ歩いてきたのは、綱吉が今腕に抱いているのと瓜二つな真っ白い――犬?
「犬じゃないんだなあ」
 男は綱吉の前にあぐらをかいて座り、ずいと頭を突き出した。
「わ――ッ?!」
 今度こそ大きい声が出る。
 男の白い頭にはこれまた真っ白な毛で覆われた、大きな耳が生えていた。
「わーっ、わーっ!」
「ほら、こっちも」
 そう言って身を捻ると、その尻には大きくてふさふさした尻尾が生えている。
「っ…」
 思わず気が遠くなりかけた綱吉の膝上で、それまでじっとしていた獣が身じろぎし、みるみる間にその姿が大きくなった。



 上に乗っているのは裸の女だった。
 耳と尻尾の生えた男の側にも、女が。あの二人の女性が。
 なんで。



「ひ、ひいぃ…」
 腰を抜かした綱吉の前で男が手を振る。
 合図を受けて女二人は立ち上がり、特に恥じらうでもなく裸のままスタスタと部屋の外へ出て行ってしまう。
 残るのは状況判断が出来ないまま慌てる綱吉と、愉快そうに笑う男と二人だけ。
「この山に来たのはね、もちろん傷を治しにだけど――もう一つ」
「へ、へぁ?」
「恩返しに。君は、覚えてないのかな?」
「え、え」
「君が山犬を追い払ってくれたおかげで、あの子は足を噛まれただけで済んだから。礼をしようと思ってね」
「あ…」
 追い払った訳ではなく、驚いて声を出しただけだ。
 弾かれたように逃げ出したあの影。あれはさっきの、白い優美な姿とは似ても似つかぬ姿だった。山で見かけたのは犬か。山犬?
 では彼等は。
(犬に似てるけど、尻尾はこんなにフッサフサだし…)
「き…つね?」
 恐る恐る視線を上げた綱吉に、男はニッコリと笑って見せた。


2008.8.5 up


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