この吐き気をのみこんでしまえば

 

ボンゴレは今夜の会合にも顔を見せないつもりか、と抑えてはいるが荒々しい語気で老人が吐き捨てた。なだめる声も今日は勢いが、数がない。
いい加減限界だぜツナ、とディーノは心の中だけで呟いた。かわいらしい弟分は成長し強大な組織のシステムに組み込まれ、一己の巨大な歯車となっている。幾らボスでも尊い存在でも、ファミリーの為の一働き人に過ぎないというのが彼の持論だ。振り回される厄介も、くだらない集まりに伴う疲労も全てが重い、が、ファミリーの為だと思えば。
成長して大人びた顔立ちを思い出す。面立ちは寧ろ幼い。東洋人特有の何を考えているか分からない静かな目は二人と身内だけになれば、また穏やかに笑い出すのでディーノは安心していた。これなら大丈夫だと。
先代よりくれぐれもよろしく、気を付けてやってくれと言われている。頼まれなくてもディーノは自分の出来る全てを尽くしてツナを助けてやるつもりだった。そしてそれにツナも甘えた。ビジネスに限らず私的な悩みすらうち明ける、その秘密めいた態度。自分だけにという言葉に微かな優越さえ憶える。実際はそうでないと分かっていてもだ。
「まったく彼には自覚というものがない」
ざわり、ざわり。火を点けたのはたかが一人、しかし不審は全体に広まっている。ディーノはぐるりと視線を巡らせ、その顔色を一つ一つ確かめた。そして言った。
「立派にやっている、と思うが。少なくとも俺達の不利益になることはない」
若造が、と罵る声がした。ツナも若いがこの伝統と格式を重んじる席ではディーノも若い部類に入り、その言動にはいつでもケチがつく。失敗して侮辱、成功して妬み、ではどうすればいい?わがままなジジイどもの相手はうんざりだ。
ディーノは耐えることを止め、ファミリーと己の威厳を保つことにした。鋭い視線に晒され、老人は焼け付いたように顔の筋肉を引きつらせる。死に損ないが。そのピイチクと耳障りなおしゃべりを慎め。でなければその舌切り取ってやる。
「遅れてすみません」
突如扉が両開きに開いた。他の者はひっそりと片側だけ、つまりそれはたった一人の人物の為なのだ。
其処にはつい数秒前までの話題の中心であった当人が、笑顔を浮かべて立っていた。

久しぶりに出席したにしてはボンゴレは遠慮無く幾つもの問題を話し合い、その態度は堂々たるものだった。取り決めを振りかざすのではなく、あくまでちらつかせる程度。彼の家庭教師が教えたマニュアル通りのやり方で。結果、彼等は軽んじた年若いボスに敗北し、それに従う事となった。
ビジネスと感情は別物だ。ここは昔ほど住み良い場所ではなくなっている。裏切りは多く、死も多い。出入りは激しい。組織のつながりは縦も横も脆く、弱々しくなっている。
そんな中、その規模に反して相変わらず強固な結束を持つボンゴレのあげる利益は莫大だった。くっついていればおこぼれにあずかることもできる。
先ほどまでぶつぶつと文句を言っていた老人が、尾を振る犬の如く甘い世辞を口にするのを目の当たりにしたディーノは胸が悪くなった。事情は分かる。だがやり方があざとすぎる。見え見えだ。何よりも見苦しい。
退屈といらいらの虫が疼きだした頃、タイミング良く解散となった。この頃合いが実に絶妙であり、もう二度と来るもんかクソッタレ、の一歩手前でお開きとなる。
ディーノは戸口の横の定位置で彼を待った。
食事やパーティ、その他諸々の誘いを上手にすり抜けてやってきたツナはいつもと変わらぬ笑みを浮かべて兄弟子に親愛のキスを贈ったが、その笑みは何処か違っていた。わくわくしているように見え、はしゃいでいる子供のようにキラキラしている。

彼等はまるで恋人同士のように腕を組み、顔を寄せ合い、クスクスと笑いながら車に乗り込む。忌々しげに睨む老人の視線に平然と笑みを返し、ツナが車の窓ガラス越しに手を振った。内心はズタズタに引き裂いているであろうが、飲み込んで礼を返すそれを興味なさ気に一瞥し、小さく呟くその口に舌が滑る。
ぺろりとその小さな唇を湿らせ、いつになく興奮した様子でツナはディーノにうち明けた。しばらくの不在は母国へ帰っていたからだと。
マンマの乳をしゃぶってたのか?からかうと、むっとしたようにツナは唇を尖らせた。子供っぽい仕草に思わず笑みが漏れる。かわいい、かわいい、俺の魂の弟よ。俺はお前を守ることを俺の神と心臓に誓う。
そして栄えある先代に。

車は滑るように停止した。技量を買ってカタギから買い上げたが度胸もなかなかだった。イタリア警察の派手でへたくそな尾行を華麗に煙に巻くような場所で停止し、なおかつ雑踏は遠い。思わぬ拾いものをしたとディーノがほくそ笑んでいると、催促するようにスーツの裾を引っ張られた。
はやく。
何をそんなに急いでいるんだ?
いいから。

部屋に入る寸前、戸口に立つ番犬に睨み付けられる。番犬は今日は一匹、いつもの方だ。ディーノがツナに何をするはずもないと知っていながら10代目に何かしたら承知しねえ、と決まり文句がやってくる。窘められて曇る瞳のいろ、無意識に潜められている眉。
こいつは常々危ねえと思っていたが。
今日はまた一段と視線がキツい。ディーノは努めて朗らかに笑い、その肩を叩いた。忌々しげに払いのけられるが別に気にはならない。忠義の裏返しなのだろう。そしてそのあからさまな想いの。

二人のボスは厳重な警護と弾を通さない堅固な扉の奥へ消えた。





「ジジイ共を宥めるには限界があるんだぜ」
「ディーノさんにはいつも感謝してます」
深々と頭を下げるのは、これは日本の習慣でありツナの癖だ。ディーノやリボーンは危ないからと言って止めさせようとしたが、結局はあきらめた。それに今ではツナも慎重になり、極近しい者相手にしかしようとしない。
「見せたいものがあるんですよ。今回はこの為に長くかかったんで」
ツナは落ち尽きなく部屋を飛び回り、カーテンを閉めた。部屋は薄暗くなり、ベッド脇の間接照明だけになる。
「おいツナ」
ディーノが慌てたのも無理はない。
ツナは突然スーツの上着を放り出し、それだけでなく全てを脱ぎ捨て始めた。ランプシェードがじりじりと熱を帯び始める頃、彼は暗闇で一糸まとわぬ姿になっていた。
面食らったディーノが半端に衣服を拾い上げていると、弱い光の落ちる範囲にぼんやりとその裸体が浮かび上がった。
思わず息をのんだ。

薄く、小さな背いっぱいに広がる鮮やかな翠青。主戦は勢いのある黒、所々朱が入り、それは見たこともない美しさでディーノの胸を突いた。
白人とは違う、独特の肌色に密やかに息づいている東洋のドラゴン。鱗の一枚一枚まで丁寧に描かれ、まるで生きているように此方を睨み付けている。一種畏れの気持ちすらおきて、思わず目を閉じる。しかし見たものは消せない。網膜に焼き付いている。

もう一度目を開いたとき、ディーノはもう躊躇わなかった。欲と衝動のままに手を伸ばし触れて、息が触れるほど間近で見る。
美しい。日本人とは本当に器用で、美に貪欲な種族だ。もの自体が違うように思える。
「いれたのか」
「みんな最初は賛成しなかったんだけどね。いざ実物目にしたら黙ったよ。見事でしょ?」
「どうして…」
「別に、なんとなく。ああ、粋がってるんだ」
くすくすと笑いが漏れた。
しかしなんとなくや若さで彫りを入れる程、この青年は愚かではない。
「電気の方が早いしラクだってんだけど、無理と金で押して手彫りの彫り師を紹介して貰った。あれ、辛いね………やってる間中痛むし、熱は出るし」
「綺麗だよ」
賞賛の言葉を並べていなければ、我を忘れてしまいそうだ。小さな背いっぱいに身をくねらせる竜の尾は滑らかで、その優雅な流線のまま細い腰を伝い前にのびる。まるで竜をその躰に巻き付けているように見える。美しい、綺麗だ、そしてたまらなく淫猥で挑発的。他でもない、お前が。あの小さかったお前。

もう一度触れる。撫でる。我慢できず唇を寄せた。眩暈がした。


2005.9.25 up


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