この吐き気をのみこんでしまえば

 

うつ伏せているそれを裏返せば、きっと大量の蟲がぞろぞろ這い出してくる。ぽっかりと空いた眼窩に蛆がわき、腐臭が鼻につく。雨に濡れ、所々色の落ちた安物のブルゾンは死肉喰いの動物たちに噛み千切られていた。
「うちの社員だ」
「間違いはありませんか?」
「腕をめくってみればいい。こいつは派手に墨を入れていた」
「アンタと同じように……なるほど。しかしこう腐っちゃあねぇ…」
検視の為にやってきた田舎医師は一瞥し、派手に顔を顰めたきり首を振って引き下がった。専門の検屍官が到着するまで遺体を動かすことは出来ない。

ハンマーで殴られたような頭痛がする。しかしそれを表に出すことは出来ず、ただ険しい顔をしてみせる。
苛立った様な表情の下でディーノの頭の中はめまぐるしく回っていた。死んだファミリーの構成員は割りと近しい者だった。諜報に長け、顔が広く、人の間に入るのが得意な男だった。常に4つか5つのルートを使って他ファミリーの取引の情報を手に入れる事が出来るベテランを、護衛がつくカポを、誰がこんな山奥で殺せるだろうか。

人知れず死んでいった男のことを思う。
今はまだ悲しみより怒りが先にたつ。徐々に事件が解明されるにつれ復讐の誓いは仕事のように日常化していく。そしてふとした瞬間に燃え上がるのだ。残された家族のぼんやりと空虚な表情、空っぽの家、犯人の顔を見たとき。
全てが終わって、すでにいないのだと実感した後。
その炎が静かな置き火となり、やがて燃え尽きてしまった後。
それは下へ澱む冷たい悲しみとなり、重くなる。足枷のように。

2台3台と警察車両が相次いで到着し、現場が騒がしくなる前にディーノは戻った。部下がエンジンをふかし続けていた車に乗り込むと、山の冷気が改めて容赦の無いことを知る。
体はすっかり冷え切っていた。





警察のようにはしない。犬のように嗅ぎ回るのは奴等の仕事であり、それは任せておけば良かった。
必要なのは『なぜ』『誰に』殺されたのかという事実だけだ。『いつ』『どこで』『どうやって』はそれらを断定する鍵に過ぎない。
ディーノが男の足取りを辿るのはそう難しくなかった。なにしろ彼は生前、ディーノ直々の仕事を請け負って動いていた。すくなくとも、その筈だった。
護衛と雑用の意味でつけていた男たちを些か乱暴な手段で問いただすと、彼らは口々に申し開きをした。これがバラバラで矛盾したお粗末なものなら話は簡単だった。
問題は、それらが一貫して死んだ男の謎の行動を裏付ける証言ばかりであったという事実である。

前日まで男は確かに町にいた。馴染みの店で一杯やり、部下たちにも気前良くおごったという。
しかしそれ以後の足取りは掴めず、一人は車で走り去る後ろ姿を見たとまで言った。
「今思えばあれは罠だったんじゃないかと思います」
そいつは酒を楽しめないたちでその一杯を辞退し、戸口近くで見張りをしていたという。
「裏口から誰か出る気配がしました。わざわざ確かめたりなんてしませんよ。疑うわけないじゃないですか」
下手に勘繰れば、忠誠心を疑われる。
今も昔もファミリーを支えているのは強固な信頼関係にあるのだ。
「用を足して店に戻ってみたら、皆隅で酔いつぶれちまって。店の親父が困り果ててました」
車に引きずって押し込み、そして数を数えることはしなかった。
朝になり、頭を抱えて起き出した兄弟達に言われて気づいたのだという。
「今までだってあの人がそう行方をくらませることは珍しくなかったんで。俺らにも言えねえ秘密の繋がりがあったんですよ。ボスも知ってるでしょう」





「確かにあの日、うちに来たよ。けどねえボス、そういうのとは、違うんだ」
「あの人は仕事をしていた。確かにね。でも今回の、それと関係は無いだろう」
「残された者の一番の務めは、ちゃんとした葬式を出してやることさ」
聞けば聞くほどこんがらがっていくようだ。極個人的な用件だったのだと言われても、簡単に引き下がるわけには行かなかった。
警察の捜査は難航し、死因すらはっきりとは掴めていない。腐乱し、動物に食いちぎられた死体。銃弾は見つかっていない。骨に新しい傷があるが、死後できたものかもしれないと慎重な態度を見せていた。
自然死や自殺の可能性もある、と仄めかす捜査員まで。


2005.10.4 up


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