魔物の村
その晩に呼ばれた。
年老いた村長の沈んだ目、その妻の幾分か腫れたような目を見て初めて、ツナは彼等が自分になんらかの感情を抱いているのだと気付き驚いた。
しかし今更意味のない感傷だ。
「魔物が降りて、今日で十日を数える」
「…はい」
「お前は……わしらはお前を……」
「分かって、ますから。父さん」
明確に親と呼べる存在はいなかった。養い親という意味での父であり、母だった。
深々と頭を下げて、支度の為に場を辞した。
身を清め、限られた範囲で食事をし、心静かにその時を待たねばならない。
分かっていた筈なのに体は震えた。浸っている湯は熱い位なのに、部屋は十分暖められ、寒くもないのに歯の根があわず、ただ手のひらばかり見つめ続けていた。
食われる。
あの日、森へ向かった父や、それを見送った母のように。
二人が婚姻の元結ばれ、それまで千回も繰り返されたであろう日常。その日だけは違って、あの恐ろしいモノが山を降り、そして――
「ッ…」
ぱちゃんと水音が響く。
無意識に辺りを払った手が水面を切り、無様な音を立てた。
痛いだろうか?
苦しいのだろうか?
良い匂いのする湯に身を浸しながら考える。考えずにはいられなかった。
嘔吐感が込み上げ、ぐるぐると目が回る。その場から逃げ出したくてたまらず、でも出来なくて、ひたすら体を擦る。
湯から上がると、何だか騒がしかった。
そう言えば家に引っ込むと同時に、入り口の方で人の声がしたような。
恐らく明日自分が座ることになる大皿でも磨いているのだろう。
明日の朝までこの家には誰も入ることがないよう、村の男達が見張っている。
ツナには親しい相手も心を通わせる女も居なかったから、外からの侵入という意味ではまったくない。
警戒しているのは自分が逃げてしまうことなのだと。
なんとなく口惜しい思いがして、ならば意地でも動くものかと思う。
整えられた、広さのある二階の居間に行き、厚みのある敷物の上にあぐらをかいて座る。
皿に盛られた料理を掴み、口に運ぶ。
いつもと変わらぬ淡々とした食事。
薄い味付けのされた料理の側に、酒も用意されていた。
あまり得意ではなかったが、ツナは全て喉に流し込んだ。どうせ明日には無い命、惜しんだ所で意味などあるまい。
酒は上等だった。
料理を腹に収めた後だったから、酔いは珍しく心地よいものだった。
とろりとした気分のまま敷物の上に横になる。少し歩けば、寝台があるのに、なんだか動くのも面倒だ。
先程まで怖くて仕方がなかったのが、今は気持ちが安らいでさえいた。
あからさまな変化におかしく思わないでもなかったのだが、それすら端から溶けていくようで。
心地よい眠気に襲われ、ゆっくりと瞼を閉じた時だった。
ガツン、と外から壁を叩くような音がして目を開ける。
……気のせいか。
再び目を閉じかけた時、今度はもっと近くなる。此処は二階で、普通に尋ねてくるのならもっと下の方で音がする筈である。
ツナはもう、あまり言うことを聞かなくなっている体をようやく動かした。
音のする辺りの壁をコン、と叩くと、コンコンと二回返ってくる。
やはり誰か居る。
常なら確かめるくらいはするのだが、その時のツナは正常な判断力を失っていた。
固く閉じられた木戸の軋みを確かめ、かんぬきをあけ、音がしないようそっと開けた。
開いた窓から何かが転がり込んできた。
同時に下を見回る影も見え、慌ててツナは戸を閉めてかんぬきを戻す。
酒のせいで崩れそうになる足を堪えながら、床に転がる何かを見る。はっきり見えない。目を擦る。何度も、何度も。
「……ってぇー」
人だ。いや、当たり前か。
厚みのあるマントの下は、この辺りでは見慣れない格好だ。旅の途中だろうか。
よりによってこんな日に来るなんてと可笑しくなった。
村の者は大抵は退屈しているから、商人だの、ただの通りすがりだとしても旅のものが来れば皆歓迎する。
宿と食事、あたたかい風呂ぐらいは無償で提供してくれるし、代わり町での話を強請られはするものの、それだけだ。
だが今はこんな状況で、村人は神経質になっている。
村長はこの人を追い返したのだろう。村に入れる、入れないの後開かない扉を幾つも叩き、此処へ辿り着いたのなら――
「大丈夫?」
膝をつき、手を差し伸べながらツナは自分の体がゆっくりと傾斜していくのが分かった。
支えきらない体を、身を起こしかけていた男が慌てて抱える。
「どうした。おまえ、お前こそ、大丈夫なのか?」
「平気…」
目線が合う。
男はこの地方には珍しい、鮮やかな色を纏っていた。
濃い蜂蜜色の髪。更に深い金色の瞳。
なんて美しい色だろうか。
それが夢のように綺麗で、知らずツナは微笑んだ。
男はぽかんとしていたが、やがて戸惑ったように辺りを見回した。
「お前一人?」
「うん」
おかしなことを聞く。
ツナはよろけながら男の手を離し、その場に座り込んで居住まいを正す。
裾の長い、真っ白い長衣をまくって良いように収めると、相手にも座を進めた。
「旅の人?」
「あ、ああ…」
「泊めて貰え、なかったんだね。今日は、無理だと、あした」
「おい」
口がうまくまわらない。
ごめんなさいと断って横になる。
「そこ、食べ物が、好きに」
「大丈夫じゃねえな…」
男は素早く目線を走らせ、倒れていた瓶を拾って口を舐めた。
「薬入りか。おい」
「……ン」
何か喋っている。話しかけられているのだろうが、どうしても意識を保てない。
もたつきながら部屋や風呂を使ってくれと良い、ツナは眠りに沈もうとしていた。最後、視界の端に困ったように眉を垂れた男の表情がうつり、なんで男なんだというような呟きも聞こえた気がしたが、意識は其所で途切れてしまった。
2011.8.25 up
next
文章top
|