Mascherato
ターゲットのスケジュールを探るのに3日もあれば十分だった。大事なのは仕事を達成すること、芸術性は不要である。ぞろりと部下を引きつれて入っていった6階建てのビルに明かりが灯るギリギリの時刻に六道は行動を開始した。
入り口の見張りを昏倒させ、素早くエレベーターに滑り込む。妙な商売気を出し、本来ならはじくべきである突発の客もすんなりと受け入れられる、その用心の浅さに今は楽が出来る。
事務所のある5階に着くと、通路には見張りすら置いていない。内心笑みを浮かべ扉の前で気配を伺う。一人、二人、三人。護衛の数は少なく、本人はそこそこの腕。
尻に火がつき始めて間もない男の強がりか自信があるのか。いずれにしても、部下諸共片付けて問題無い。一手間を惜しまなければ後々アシがつくことも無く、効率が良いことに気がついた。未だ身のうちに巣くう獣のうなりを沈めるにも効果的である。
コンコンとノックの音に反応し、磨りガラスの向こうで3人が一斉に銃を構える。
用意していた文句を言うと、それはまた一斉に下りた。
「随分早かったな、あと2、3日はかかると言っていたが」
「―――そうなんですか?」
至近距離でにっこりと笑う男にたじろぎ、一拍置いて3人は銃を構え直そうとした。しかし懐に手を入れる前に六道は跳躍し、沈めるついでに息の根も止めた。消音装置を付けた6連発式リボルバーは必要最小限の動きで敵の息の根を止めるのだが、それはあまりにも味気ないと彼は感じていた。ラスト一人の銃を足で弾き飛ばしながら背後に回り、腕と膝を使って手際良く首を折る。
振り返り、狼狽した顔つきをピタリと止めたターゲットは、やはりそれなりの腕なのだろう。銃を構えたまま動こうとしない。
「なんだお前は。組織の―――」
「は?」
「あと数日もすれば命令は解除される筈だ。今回の事は間違いだった」
何の話か。
そうですか?と小首を傾げる仕草に頷き、汗をかき、油断なく見張っている、さてどこから崩そうかと思案していると、カツカツと音がした。
階下から響いてくる足音に一瞬だけ気を取られる、その隙に距離を一気に詰める。転がった銃器に目もくれず、男は背後に跳んだ。腕を絡め取って動きを封じるとフッと嫌な気配がした。咄嗟に庇う、分厚いコートとスーツの生地を貫いてチクリと刺さる銀色の針が見える。
「毒ですか。効きませんよ」
勝利を確信して浮かべた笑みがそのまま絶望に彩られる。切り札の攻撃を侵入者は平然と受け流し、針を刺したまま腕を捻る。世界が反転した。
六道はゴキリと骨の折れる感触を無表情で味わい、振り返った。
幼い少年が戸口に立って銃を構えている。
少年は黒い帽子を目深に被り、同色のスーツに身を包んでいる。傍目にもただ者でない気配を漂わせているし、向けられた一筋の殺気にも身の毛がよだつ。
それが、ふーっと大きなため息を吐いた。
「俺の獲物なんだがな」
「それはそれは。手間が省けましたね」
「冗談じゃねえぞ。お前、何モンだ」
返事の代わりにニイ、と笑う。鼻に届いた微かな匂い。
「―――血生臭い」
マフィアだ。
ターゲットが恐れていたのは六道ではなかった。組織の―――殺し屋だったのだ。間違いない。血の匂いがする。
「初対面でいきなり失礼な奴だぜ」
幼いながら目つきの鋭いプロフェッショナルだった。厄介な相手に捕まった、勘のいい六道は早々にこのイレギュラーな存在を無視する事に決めた。
今は記憶の底に留めておく。
此方が退散しなければ危険と判断したのだった。相手はまた別の見解だったらしく、狙いを定めたまま銃口はぴくりともしない。
「ま、テメーがなんだろーが関係ねえ。俺の仕事は含めて、全て。片付ける」
「おお怖い。僕は失礼しますよ」
「逃げる気か?」
侮蔑の表情は挑発。
「そんなところですかね―――」
恐れることはない。
六道は窓に突っ込んだ。
身を切る寒さの強風にあおられながら、隣接して建てられている向かいのビルの雨樋を掴み滑り落ちる。降ってくるガラスの破片から目を庇い、肌を庇う。
柔らかく猫のように着地した彼は深くフードを被ったまま建物をくぐり、人の流れに紛れた。背後では大きな物音に何事かと集まっている気配がし、近隣住民が大声で警官を呼ばわっていた。
銃声はついぞ聞こえてこなかった。
(気付くのが遅れたんですよね………)
手強い相手との予想外の対峙に、高揚した気分が毒への反応を薄めてしまった。
元々、腹が減っているとか寒いとかあれが不快だこれが気に入らない、そんな体の変調に疎い事もある。
幾らも歩かないうちに六道はふらつき、崩れ落ちないようにするのが精一杯になった。
何とも情けない話であるが。
死に際にターゲットが撃った針の毒は、新しい種類のものだったかもしれない。大抵の毒は慣らしてある、動けなくなるというのは余り無い。
仕事帰りの会社員の波に紛れた………までは覚えている。かえって、それが良かったのかも知れない。
向こうさんも、幾らなんでも仕事直後の殺し屋がその辺でフラフラしているなど思ってもみなかったのだろう。見つからずに済んだなんたる幸運だ。
「じゃ、行きましょうか」
戸口で振り返る青年に続き、六道はこの小さな部屋を出る。狭いが妙に居心地が良く、名残惜しい気がして振り返る。
「歩けます………?」
「もう大丈夫ですよ」
体は毒を出しきり、大分回復している。大量に飲んだコーヒーのおかげだ。
「ありがとうございます」
歪んだ視界の奥から視線をやると、彼は人懐っこく笑った。
駅で別れてしまうのが惜しい気がした。
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