オトモがこわいのでついてきてほしくない
手ぬぐいと石鹸を桶に入れて、ツナは村浴場へと向かった。
愛想が悪く、稀に見る悪相のアイルーは、それでも一応ついては来る。ツナは脱衣所に入ると、服を手早く脱いでかごに放った。 「よしおいで」 アイルーの装備は簡単なチョッキ程度のものだったから、前で結んでいる紐を解くだけで脱衣は終了だ。微妙に嫌そうな様子ではあったが、それでも大人しくしている彼に(彼だった。さりげなく確かめた)ツナは感心した。アイルーの中には毛が濡れるのを嫌い、風呂なんてもっての他という奴が多いから、風呂に入れようとすると途端に逃げ出す。落ち着かない。隅で震えている。等々。 宥めたりすかしたり、ご機嫌を取ったりする必要は、今のところ無いようだ。ツナが案内する前に彼はさっさと浴場へと足を向け、手桶で湯をかぶり始めたのだから。 「おまえイイ子だなぁ」 物わかりがよい。かしこい。手放しで褒めるツナをバカにしたような視線でじろりと見て、彼は何度も湯を浴びた。 血と泥で汚れた毛から、浴びて落ちる湯が透明になるまで。 徹底している。そのまま洗い場に向かったので、ツナもついて行くことにした。 「石鹸使ってもイイ? 嫌じゃない?」 無言にも慣れてきた。 わしゃわしゃと泡立てたのを、濡れた毛に乗せてやる。 黒い毛並みはやはり綺麗で、栄養状態も良好。艶やかな体毛の下は筋骨逞しく、普通のアイルーに比べるとやっぱりでかい。 もちろんアイルーにも個体差はある。愛嬌のある丸々と太った奴やら、大柄でしなやかな体つきのも見たけれど、なんというか……このアイルーの体は、 「素人じゃねえ……」 泡を乗せて、泡立てて。 彼の手の届かない背中の方を洗ってやりながら、ツナはその体に走る無数の傷に驚いた。所々毛が生えていない部分があり、触れると必ず皮膚の上に盛り上がった傷跡らしき線が走っている。 まるで歴戦のハンターのように。 オトモとして戦闘に加わるものも、もちろん居る。けれど、こういう傷がつくものだろうか? あんなにすばしっこい彼等が? こんな凄惨な傷を全身に浴びて未だ現役だと? まずないだろう。 体全体で敵にあたるような、無茶な戦い方をしなければこんな体にはならない筈だ。 「おっと」 考え事をしながら手を動かしていたツナは、うっかり尻尾に触れてしまった。 尻尾は彼等の敏感なところ、一部のアイルーの逆鱗でもある。怒られるだろうか、引っかかれたりしたら嫌だなあなどと思っていたツナはしかし、平然と足部分を洗い続ける彼に驚いた。落ち着き払って、まるで王様じゃないの。 「尻尾、触っていいのか?」 フンとバカにするような鼻息が返ってくる。 全体的にやや長めの毛並みだが、尻尾は特に見事であった。わさり、と動くそれを手にとり、出来るだけ丁寧に洗っていく。 根本の部分まで掴んでも、まるで気にしない。変わったアイルーもいるものである。 「流すよー」 全身が上手い具合に泡だらけになったので、ツナは遠慮無く湯をすくってぶっかけた。 最初のかけ湯の時点で、彼が水を恐れないのは分かっている。案の定顔を上向け、待っているような姿勢で待機している。目が片方だけ開いて、やれとでも言うようにちろりとこちらを見た。 「おー、来てたねえ」 ばっしゃばっしゃと威勢良く湯をかけていたツナは、途中入ってきた村人に声をかけられて振り向いた。 「ツナちゃん、大活躍だったって?」 「それ違いますからね」 デマですデマ、と言って手を振るツナの腕に、ばしんと濡れた尻尾があたった。 余所見をするなとでも言うように、アイルーが此方を睨んでいた。ハイハイ。 「俺が倒したんじゃないですよ。こいつが仕留めたんです」 「ツナちゃんのオトモアイルーかい?」 「オトモじゃないです。母さんの、ええと、新入りです」 「へえ、ツナちゃんもいよいよ一人前だねえ」 駄目だこりゃ。話聞いてないよ。 ツナは一生懸命説明するのだが、相手が聞いていない。勝手に頭の中で話を作られていくこの切ない感覚。 「やっぱりねえ、イエミツさんの息子だもんねえ。ツナちゃんは今に凄いハンターになるね!」 「父さんは関係ないし、俺そもそもハンターは目指してな」 「ナナちゃんも、立派なハンターだったんだもんねえ……村に来たばかりのこと、思い出すよ。あの細いナナちゃんが大きなお腹を抱えてさ、それをイエミツさんが大事に、大事に、ねえ」 「あー……」 こうなると長いのだ。 ツナは適当に相づちをうちながら、湯桶で湯を汲んでひたすら流し続けた。石鹸のぬるつきが無くなるまで、濡れた毛をすくようにして流す。 最後にぶるぶるっと水を散らそうとしたので、肩を押さえて湯船を指さす。 機嫌の悪そうだった顔つきは、体を洗い終えて幾分かリラックスできたようだ。 まるで人間だなあ。 「先入ってていいぞ。百まで数えろよ」 子供に言い聞かすような口調で話すのは癖のようなものであるが、なんとなく居心地の悪さを感じた。彼は賢く、強いアイルーで、判断力にも優れていそうだ。ツナよりよっぽどしっかりしている。 思い出話を続ける村人に、テキトウに相づちをうちながらツナも石鹸で体を洗った。 どんなに気をつけていても、一歩村の外へと出れば山は悪路であり、整えられた道路ではない。埃だらけの岩山を登り、泥のうねる湿地を抜けて――そりゃ全身汚れるってもんだ。 特に念入りに足と脛の泥を落としていたツナは、母手製の茶色い石鹸を手に取り、毎度のバクハツアタマを洗うべく盛大に泡立て始めた。
あらさっぱりとしたわね、と母が笑う。
出迎えてくれたアイルー達は、いつもならツナに飛びついたり、足下を素早く走り抜けたり、果実を放り投げたりと悪戯をしてくる。 しかし今日は様子が違っていた。なんというか、緊張状態にあるのだ。 見れば彼等の視線は一様にツナの後に立つ黒いアイルーへと向けられ、急いで逸らされていた。 完全に負けてるじゃねーか。 確かに、多少怖い顔はしているけれども、でもアイルーなのだ。仲間じゃないか。 それに乾き始めたふわふわの尻尾が、ツナは気に入っていた。このアイルーは尻尾を触っても怒らないし、他の連中と違って体も大きい。なんとなく、人間の子供みたいで親近感が沸いた。 「何か食べられないもの、ある?」 「……」 「山のものばっかりだけど。まあ、うまいよ」 「……」 答えが返ってこないのも慣れてきた。 ツナは普通に話しかけているが、食卓に着いてからも周囲の緊張は解けない。 母は気付いているのだろうか――気付いても気にしないのかもしれない。村人の言う通り、母はこれでも歴戦のハンターであり、腕も相当立つ。 自分と大して身長の変わらぬ、細身の体の母がニコニコしながら大槍を担いで飛竜に打ちかかっていく姿など見ているので、この人がちょっとやそっとの事で慌てる訳はないとツナも分かっている。土台経験が違うのである。 「ツナが取ってきた新芽はね、ゆがいておさしみ。クロちゃんが仕留めたドスファンゴは蒸し焼きにしてみたのよ」 「うわ、すごい、うまそうじゃんか。母さん、こいつに一番大きく取ってあげてよ」 「はいはい」 楽しい親子の団らんである。 最初は遠巻きにしていた他のアイルー達も、ツナやナナがいつも通りなので恐る恐る席に着く。 そのうちにぎやかな食卓が始まって、いつも通りの運びとなった。 にゃあにゃあと皿のモノを食い散らかしていくアイルー達。 「ツっくん、今日も大剣装備だったでしょう。あなたあれ使えるの?」 「ぜんっぜん」 「父さんのお下がりだから、まあ他より大きくはあるんだけどね。やっぱり専用のモノ、見て貰った方がよくない?」 「俺が受ける任務は基本的に戦わないやつだから……」 ツナが選ぶのは採取依頼であり、食材や薬草を拾い集めてくる、比較的簡単な仕事だ。 初心者だしという理由の他に、出来る限り戦闘を避けたいツナの臆病な性質があますところなく出ている。 常に需要がある世界なので、それで暮らしていけなくもないのだが、こうなるとハンターというより…… 「なんでも屋さんみたいじゃない?」 「いいよそれで。大体俺、ハンターなんかやりたくないんだもん」 「あらあら、そんなこと言って。父さんみたいになる、ってツっくんいつも言ってたじゃないの」 「ああ、それ、止めたんだ」 小さい頃は村の皆に頼りにされ、訪ねてくるハンターにも尊敬される強い父に憧れもした。 でも父は今家に居ない。年単位で留守にすることすらある。正直、顔もおぼろげだ。 母さんと俺を放って、今頃好き勝手にハンター家業をやっているオヤジ殿。 そんな相手にいつまでも憧れ続けていられるほど、ツナは純真な少年ではない。 「生活は安定が一番だろ。幾ら超一級とかもてはやされても、所詮ただの放浪者だぞ。俺は旅暮らしだけはエンリョしたいね!」 食事を終えたツナは、いつものように部屋に戻ろうとした。 常ならば我先にと部屋へ駆け込んでくる奴等は、今はピタリと足を止めて居間から動かない。こりゃいいや。 「お前は俺の部屋な」 「……」 無言で見上げてくる黒いアイルーは、食事時も母に褒められていた。 他の奴等に比べて格段に食事マナーが成っている。フォークやスプーン、箸まで使いこなす器用な手先と、丁寧だが確実に量を減らしていく食いっぷりに、人より食事が上手と感心されていた。 窓際に据え付けられたベッドに、倒れ込むように横になったツナは敷物やマットの散乱した床を見渡す。 新入りに寝床を作ってやる手間と、このまま寝てしまいたい欲求を天秤にかけたツナである。 うーん、面倒くさい。 「ほら、こっちにおいで」 半分落ちた瞼で、黙って突っ立っているのを引っ張ったツナはそのまま自分の寝床に新入りを引きずり込んだ。 「……ウ」 「明日、な。ねるとこ、つくってやるから……」 ふわぁぁ。 大きなあくびをして、次の瞬間脱力したツナの体を、エイヤッと跳ね上げるようにして横に転がした黒いアイルーは、一瞬その双眸に怒りの色を浮かべたが、軽い鼻息を立てて眠り込んだ間抜け面を見て、肉球をぺちりとその狭い額にあてた。
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