オトモがこわいのでついてきてほしくない

 

 馴染んだ寝床の感触。
 洗い晒したシーツに顔を擦って、目を開けて、瞬きをする。
 そろり、と起こした体が途中で止まった。
「やっぱ夢……て違った。マジだった」
 早朝、自宅、自室のベッド。
 ツナの眼前は毛だらけで、ベッドには余裕があり、足に長い尻尾が巻き付いていた。いつも通りの朝。
 アイルーが人間になるなんて、そんな突拍子もないこと。あるわけない。だがしかし目の前にあるのはクシャクシャになった浴衣である。サイズのでかい、ツナには一生用事のなさそうな丈の。
 極めつけは下に放り出されている草履だ。
 薄っぺらい草履は集会場からの借り物だった。こっちもでかい。ある中で一番大きくて、それでも足りなくて踵がはみだしていたくらいだから。今はその図体も縮んで、見慣れたアイルー姿だった。
 むにゃ、と前足で目元を擦る姿は可愛らしかった。あの鋭い目を閉じていれば。天使のよう。
 だが元はアレだ。可愛くもなんともない。
「おい、おいザンザス」
 うにゃあ、ともたついた声をあげつつぱちりと目を開いた黒いアイルーは、次の瞬間がばりと寝台から起き上がり、辺りを見回してうぐぐと唸った。怨念の籠もった唸り声である。
「クソ……クソ……!」
「ま、まあ落ち着いて」
「あのクソネコジジィ! どんなややこしい呪いをかけやがったんだニャーッ!」
「……ぶっ」
 ぶくく、と堪えきれずに吹き出したツナを鋭い目がぎらりと睨む。
 だが止まらない。昨晩その正体をしる前までは当たり前のように聞いていたが、元が、モトがアレでああなってこうなってると思うと……
「お、おま、オマエ今語尾にニャッって、ぶわはははッ、ぐはあ!」
「うるせぇニャこのドカスッ!」
 鋭く撃ち込まれた拳により、ツナの息が一瞬で詰まる。
 咳き込みながらも止まらない笑い。ニャッ。ニャッ。特徴的なアイルーの語尾。こいつ込みで変身させられているのかと思うと、愉快でしょうがない。
「わわ、悪かったって……だからお前喋らなかったんだなブフッ」
「……」
「ってうわお前武器持ち出しは卑怯だろ?! 仕舞いなさい仕舞いなさいそんなもん俺だって持ち上げたことな……ミギャーッ!」



 朝っぱらから寝間着で家を飛び出し、村中逃げ回る羽目になったツナはそれでも朝食時には席に戻ってきていた。
 息一つ乱さず、巨大なハンマーをぶるんと戸口で振り回したザンザス(縦横斜め、どこから見てもアイルー姿!)は、母の『もうすぐ朝ご飯だからそれはしまってね』の一言によりようやく拳を収めた。だが未だ目はギラギラとツナを睨め付けている。
「そんな怒るなよ。お前だって俺がそんなになったら笑うだろ?」
「今だって大して変わらねぇニャ」
「っ……ん、うんっ……」
「プルプルしてんじゃねーニャッ! ソッチ向いても肩が震えてんだニャ!」
「も、もうダメ…!」
 ばしばしと食卓を叩きながら笑い転げるツナを、他のアイルー達や母親が不思議そうに見ている。
 なんだか楽しそうねえ、と見当外れの事を呟いた母は、いつも通りお弁当の包みを二人の前に置く。
「はい、お弁当。今日もクエスト行くんでしょう?」
「あ、あー……うん、まあ」
 本当は予定は無かったのだが、村にいたらまたあれこれ言われそうだ。
 さっさと人気のない所に逃げ出すに限る。
 ちらりとザンザスの方を伺うと、彼は既に皿の中身に集中しており、ツナのアイコンタクトは成らなかった。
「そう言えば、村長さんがツナにお話があるんですって」
「村長さんが?」





 温泉村ユクモを束ねるのは、珍しくも竜人族の若い女性だった。
 と言ってもツナなどは生まれたときから見ているし、あんまり珍しい感じはしないのだけれども、大抵の旅人が彼女を見て驚くので珍しいのだろう。そんな感じ。
 彼等種族は非常に長く生きるし知能も高い。霊泉と名高いユクモの温泉を昔から管理している。
 そんな彼女なら温泉の事も知っているかもしれない。
 ツナはどきどきしながら集会場前のベンチに座る村長のもとへと走った。
「こんにちは、村長さん。俺のこと呼びました?」
「あらこんにちは、綱吉さん」
 村長は着物姿の美しい女性だ。独特ののんびりとした口調が艶やかで、ツナのような若造でも落ち着かない気持ちになる。
 彼女はにこにこしながら装備を固めたツナを見て、それから後に立っているザンザスをも見た。
「このところ綱吉さんの噂ばかり聞こえてきますわ。それも評判の良いものばかり」
「あー……ま、まあ、偶然っていうか、そんな大したアレじゃないですハイ」
「嘘よ嘘。奈々さんも嬉しいのじゃないかしら? やっぱりお二人の子供なのね」
 つい最近までこんなにちいちゃかったのに、と抱き上げる仕草をしてみせる。
「ホント、月日が経つのは早いものねえ……」
「ハ、ハハ……」
 それで。
 俺に何か御用ですか? と訪ねたツナに、彼女は笑みを崩さぬままちろりと視線を山の方へ移す。
「この所どうも森が騒がしくて。村へ来るお客様の中には、夜の渓流で大きくて、光る獣を見たという方もいらしてねえ」
「大きくて光る獣?」
 ツナが後を見ると、ザンザスは全然違う方を向いていた。コイツ、わざとじゃあるまいな。
「綱吉さんはよく村の周りを見てくださっているようだから、もしかして見たことがあるのじゃないかと」
「うーん……でも俺、殆ど昼間にしか行かないからな……」
 ツナの選ぶ依頼は殆どが昼間である。だって安全だから。
「出来たら、気をつけて見てもらいたいの。今村は人手不足でしょう」
「あ、ハイ……その、じゃあ、見るのは見ておきますけれども」
 見るだけだ。
 そしてチラリとでも見えたら全速力で逃げてくる。
 しかしそんなツナの思惑も知らず、村長はぱあっと華やかな笑顔を浮かべ、手をぱちんと鳴らして喜んだ。
「まあまあ、綱吉さんがそう言ってくださるのなら安心ねえ」
「え」
「では早速、今夜にでもお願いしようかしら……」
「え、えええっ、と」
 とんどん進められてしまう話を遮る隙もなく。
 ツナは改めてこの、うら若き女性(に見える)村長の力を思い知った。そうだ、この人、すごいやり手って噂だもんな。
 温泉街を取り仕切る女顔役は伊達ではない。
 しかし引くわけにはいかない。やられっぱなしはイカン。
 訳の分からない依頼を受けさせられたのだから、せめて温泉の情報は貰っていかないと。
「あの、村長さんっ」
 彼女の口から上機嫌で語られる、めでたくも平和なユクモ村ビジョンを、ツナは勇気を出して遮った。

 

 


 

 

 ユクモ村周辺は豊富な湯量を誇る温泉が幾つもあり、実際村の中の源泉の数と位置は村人のツナとて把握しきれぬ量である。
 これが山の中となると、未発見のモノを含めてもう見当が付かない。なんか流れてるな、と思うと湯気が立ってる。水がたまってるな、と思うと猿が温泉に入ってる。そんな域である。
 村長の話によると、ユクモの湯の効能はその源泉ごとに違い、泉質も温度も匂いも色も味も全部異なっているのだとか。
 村の集会場にある大浴場は、色んな温泉をブレンドしているらしい。
 それは季節や気温に合わせて管理され、先々代から伝わる特別な配合をもってユクモの名物とされた。日によって色、湯の質が違うと感じる秘密はココだ。
 確かに幾ら入っても飽きない湯だと評判だが――本当に違っているなんて。
 彼女は言った。
 何か一つの効能を突き詰めたいのなら、その源泉を探すしかないわねえ。多くは山から引いているわよ。村の温泉もブレンドはしているけれども、大浴場ほど多くの種類はないでしょうね。
 自慢げなその顔にへらへらと愛想笑いを返しながら、ツナは内心頭を抱えていた。なんだかものすごく面倒なことになりそうだ――山から引いている温泉は温度が高く、一度地表に出して覚ましてから、大昔に掘られた水道で里へ下りてくる。
 山に入れば源泉に触れられるのだ。
「片っ端から試すしかないのかな……?」
 呪いを解く温泉というのはあるのだろうか?
 村長に聞いてみたが、そんな効果の心当たりは無いとの返答であった。竜人族は元々非常に合理的な考え方をする種族であり、呪いや信仰と言った分野には明るくない。ツナが口にした時も、幼子がしょうもないことを言っているとでも言いたげな生暖かい目で見られてしまった。いや、俺だってね、そうそう信じちゃうタイプじゃないんですよ。ただちょっと、目の前で変身されただけで。
 そりゃ信じるしかないよな!
「うう〜、夜の山なんて入りたくないよ〜」
 昼間とは危険が段違いなのだ。動物の生活範囲とて、昼と夜ではまったく違う。
 夜行性のモンスターは凶暴かつ敏捷さを増し、昼間ではまずお目にかからない数がどんどこと捕食している場に遭遇したら一巻の終わり。
 入り口を過ぎ、草木の茂る山道に入った途端ぐちぐちと始まったツナの文句に、先頭を行くザンザスの目がぎろりと光った。
「――ならテメエは黙って家に居ろニャ。足手纏いなんだニャ」
「そんなわけいかない。俺が山に入る許可貰わなきゃ、万が一お前だけで狩ってる所見つかってみろ……」
 密猟者扱いされてお縄である。それこそ一巻の終わり。
「そんなヘマしねぇニャ」
「そういう面倒な危険は最初から避けた方が無難だろ。大体お前、それで苦労してるんじゃんか!」
「うるせえ」
 ザンザスがアイルーになってからの苦労話は、聞くも涙語るも……涙こそ浮かべていないが、疲労しきった顔つきがなんとも言えぬ壮絶さである。
 当然だが人間に極普通に認められている権利を、アイルーは持たない。当たり前のように。
 アイルーに優しい人間もいるが、冷たい人間もいる。
 人間だった頃は当たり前のように出来たこと。ハンター手続き、渡航の承認、その他様々な日常の些末事。食事だって一苦労だとか。
 冷たい人間第一号だったザンザス、それで多少でも反省すればいいものを、その辺の認識はうまくない。バカにされたり傷つけられそうになっても、アイルーに意地悪な人間、ではなく、このオレの邪魔をする愚かなやつ、としか認識しないのだ。
 話を聞いていてツナは思った。
 アイルーの長老さんも、もう少しマシな方法を選べばよかったんじゃね?
 こんな攻撃的な奴をアイルーにしたとして……嫌がらせとしてはこの上なく成功しているけれども、逆にアイルーの評判を落とす事にもなりそうだ。スレスレどころかもろ犯罪を幾つも犯して彼は此処、ユクモ村に流れ着いていたのである。
 反省とか悔い改めとか愁傷、なんて言葉にまったく縁のない男。
 彼にとってはアイルーや人間、というくくりではない。自分に多少なりとも利益がある人間、そしてその他だ。ある意味平等なのだが、その辺りの思考を理解した上で再考するならばザンザスをアイルーにしてしまうというのはサイアクの選択である。ギャップが酷いし。
 いっそモンスターにするとかどうだろう。うわ、こりゃぴったりだ。似合いすぎてまた笑っちゃう。
 ツナの頭には本や雑誌で見た凶悪モンスターの姿が次々浮かんでくる。一鳴きがものすごい轟音となって辺りに轟くティガレックス。見た目からして壮絶に恐ろしいイビルジョー。どれも単独では狩り難い高難易度のクエストだ。そう言えば、先月の特集は幻のモンスターと言われるジンオウガだったなあ……

「……ん?」
 立ち止まったツナの足下を、コロコロと転がる虫。
 虫は背の高い草へと登っていく。幾つもの光が宙に浮き、ふわ、ふわ、と漂い始める。
 雷光虫だ。
 こいつは面白い特性を持っている。体内で電気を発し、自ら発光するのだ。
 そう言えば幻のモンスター・ジンオウガは雷光虫とキョウセイカンケイだかに、あるんじゃなかったっけ?
 ジンオウガはでかい大物らしい。こいつも光る。らしい。体に雷光虫を纏わせ、その電気を使って攻撃する事もあるという。なんと恐ろしい。そんなものが出たらもう、ダメだ。逃げられるどころの話じゃないな。

 ぴしゃん、と足下の水たまりがはねる。
 いつの間にか辺りは静まりかえり、盛んな虫の声も聞こえない。あいつどこ行ったんだろう。ザンザス、すぐ先に行っちまうんだからまったく困ったもんだニャ。なんつて。
「ニャ。ニャ、ニャア」
 くすくすと笑いながら大きな流れを渡ろうとしたツナは、突如目の前にさした影にピタリと足を止めた。

 ――激しい息遣いが聞こえる。
 ――雷光虫がやたら飛んでる。
 ――うん、さっきから背中がゾクゾク。悪い予感しかしない。

 恐る恐る振り返ったツナは、すぐ後で激しく唸る『渓流の』『大きくて』『光る獣』を見て――凍り付いた。

 


 

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