オトモがこわいのでついてきてほしくない
音を感じて振り返った。
アイルーに変化してから聴力は異常に発達し、どんな些細な物音も逃すことはない。初めは不眠になったくらいだった。あまり鋭すぎる感覚も考え物である。 「……チッ」 後を追ってきていた筈の姿がない。 あのチビの足音は騒がしく素人丸出しなので、歩いていようが走っていようがこの距離なら分かる。それが無い。立ち止まっているのか? なら、まだいい。 不穏な気配は一向に退かない。 辺りの動物たちは息を潜め、虫ですらじっとしている。何か途轍もなく大きくて、強くて、怒りに満ちた存在が近くに居るからだ。 ザンザスは足音を殺し、びりびりと空気を振るわせている『それ』に向かって走り出した。 この姿は間抜けだが、身体能力は悪くない。 体が軽すぎて力が入らないのは気に入らない、しかし敏捷性や獲物を察知する感覚は、これは確かに人では適うまいと思うものだった。 足音を殺し、気配を殺し、じっと暗闇に伏せる。 完全に周囲と一体化し、出てきた獲物を狩る。 ザンザスは十を数える前からハンターとしての訓練を受け、実戦も度々行っていた。単独で狩りをした経験も豊富である。 ソロで狩るのと、大勢で獲物を追い立てる狩りがまるで違う物だと知っている。 それでも、アイルーの姿は別格だ。 人間は幾ら業を磨こうが、努力しようが、明らかに『人くさい』。生活習慣。入浴。化粧。突き詰めれば思考のせいだ。 生存にはまったく不要な事に心を裂き、偏った匂いを付け、様々な物を貪欲に喰らう人間は自然界では浮いた存在なのだ。 そんなものが寄ってきたら動物は逃げる。 普通はそう……する筈だ。 あのカスハンターは、どうやら別モノらしい。 本人の至って臆病な性格、危険区域には徹底して近づかない、常にコソコソ隠れてまわる性質故に大きな事故には遭っていないが―― アレはその辺をふらふらしてるだけで獲物を引き寄せる。それも大物ばかり。 ザンザスがそれなりに注意をして気配を殺し、獲物を待つその横でツナはどかどかと無遠慮に物音を立てる。新米だから。その中でも酷い。 傍目に見て、あまりにも才能がない。 母親が持たせる弁当と大物避けの匂いの付いたハンカチを持ち歩き、調子っぱずれの鼻歌を歌いながら――それはもう相当に騒がしい存在なのだが、何故かまったく危険なニオイがしない。だからなのか? 大物がやたらと寄ってくる! 餌のような人間――ある意味奇跡的な存在だ。 それを良いことに、ザンザスは寄ってきた獲物を片っ端から狩ってきた。衝動としての狩りだ。 姿が変わってもやる事は変わらない。それで身を立ててきたのだから、今更別の事なんて出来るはずもない。立場も姿も関係が無い。 しかし念じて集中しようとするザンザスの思考を、餌が、もとい、ツナ本人が乱す。高名な父親を持ちながらハンターになんぞならないと言い張り、手柄を褒められて居心地が悪そうにする馬鹿正直な、愚かで、小さく、取るに足らない単なるガキ。 その子供が、自分が元に戻る為の鍵。 皮肉なものだと苦笑いながら、ザンザスは走る。 例によりツナは大物を引き寄せてしまったようだ。村長の言っていた情報から予想はしていたが、本当に来るとは。餌場の張り込みも待機もなしで。 その辺にぶら下げておけばいいのだ。苦労も道具もなしに、向こうから現れる。 問題は本人がそれをまったく自覚していないことぐらいで―― 辺りにはふわふわと雷光虫が飛び回り、一見すれば幻想的で美しい風景と言える。 ビリビリと震えるヒゲの知らせが無ければ。 美しい眺めと評判の、ユクモご自慢の渓流。昼間は美しい観光地だが、夜ともなれば大型のモンスターが徘徊する危険地帯だ。突如青白い雷光が宙を走り、背の高い水生植物の茂みからそれが飛び出してきた。 視界を覆うほど大きな体が唸り、威嚇する。 やはり動物は鋭い。ザンザスがただのアイルーではないと察しているようだ。背負った武器を手にすると、殺気は膨れあがった。 じりじりと睨み合いながら、踏み切れないでいたのはツナの気配が無かったからである。 いつもうるさいぐらいに主張しているそれが、綺麗さっぱり感じられない。 空気中にばちばちと小さな稲妻が走っている。 放電直後独特のきな臭さ。つい先程起こったであろう出来事。 思い当たる事は一つだ。 視界の隅に不自然になぎ倒された茂みが映る。 更に奥へと目を凝らせば、見慣れた簡素な装備が横たわっているのが見えた。
息が止まるかと思った。
「だから、えー、なんつったらいいの? よくわかんない」
なんと頭の悪そうな返答であろうか。 大概の事には驚かず、また興味も持たないザンザスであるが、流石の彼も頭を抱えた。 こいつ……自分の事だろうが。何が分からないのかオレが分からん。 湯から出した手はぽにゃっとした肉球つき毛だらけの足ではなく、節のしっかりした人間の手だ。 二人は今天然の露天風呂に浸かっていた。 大浴場に引く源泉を、片っ端から探し歩いて五つめ辺りでアタリが出た。キラキラと光る不思議な温泉は山奥深く竹林の中にあり、おまけに結構な高度だった。 突き出た岩の下は断崖絶壁。中々に野趣溢れ、スリルのある風呂ではあったが、つかってしまえば心身がほぐれる。これも温泉の力なのかもしれない。 「電撃受けたの初めて。寸前まですっげえ苦しくてさ。それが楽になったら今度は頭がカーッとなって。気がついたらぶん殴ってたアハハ」 「……カ」 「カスって言うなよ。バカもヤだぞ。俺、元々こっちの方が動けるんだよね」 拳を握ってシュッシュと突き出すその顔に、ピンチを乗り切った達成感や死にかけた恐怖はない。心の底からのんきな顔をしている。 「でもハンターって武器必須じゃない。不器用な俺にはどうにも難しくって」 刃物全般苦手なんだ、とあっけらかんと言い放つ。 決して広くはない、小さな池程度に掘られた露天風呂である。 あまり近くに寄りたくないのだが、仕方がない。例によってツナの前に風呂につかっても何の効果も得られず、ツナが一緒に入った時だけ体が元に戻るのだから――出汁は未だつからせておく必要があるのだ。 「まあなんとか無事帰って来れたし、あんたの体が戻る温泉も見つかったし、良かったよ。俺はこの村に居るからさ、人間に戻りたくなったらいつでも言ってくれーふはー」 ざぶざぶと顔を洗っている、その見るからに気持ちよさ気な様子に、無性にイラつく。 こいつは何を言ってるんだ。 戻りたくなったら? こんな期限付きの状態なんぞごめんこうむる! 完全に呪いを解くまでザンザスの旅は終わらない。つまり、このチンケなカスハンターと共に行動する。のか。……そうか。 頭が痛い。 「……クソ」 思っていたよりまあ、動きは悪くない。 だが志は相変わらず地味クエを主に、なんつー逃げ腰であり、あの時逃がしたジンオウガですらやべーな俺角折っちゃったし次会ったら殺されるんじゃね? やべ超会いたくないなどと抜かし、山に入れさせるのも一苦労だった。とにかくやる気のない男である。 救いはザンザスの災難、アイルーの呪いの解呪に関しては積極的な協力態勢であるという事だけ。 向上心、野心、プライド、学習意欲、全てゼロ。何にもない。 「温泉っていいよなー。俺ユクモに生まれて良かったぁ……何にもない田舎だけど、温泉だけは腐るほどあるんだよねー。そうそう、俺が小さい頃さ、集会所の大浴場の番台に座ってたの、アイルーじゃなくて人間だったのね。あれ竜人族だったっけ? すごいちっさいじいさんで、券挟んでパチパチやる仕事が羨ましくってさー。俺の将来のゆめ、風呂屋の番台」 こんな男だ。入浴券を挟んでパチリとやる仕事を羨む、平凡極まりないやつ。 「なにをどうして間違ってハンターなんかやっちゃってるんだろう……あー、人生考えさせられる。いい湯につかると人生考えちゃうね。考えると、ハンターってやっぱりヤクザで因果で面倒な商売だよなー。やっぱ温泉村に生まれた男の夢、番台目指すべきか……?」 風呂につかり、へらりと笑い、茫洋とした視線を空に向けるツナの果てしなく続く無駄話にそろそろ堪忍袋の緒が切れそうになっているザンザスは、無言でその頭を掴み―― 「うおちょっ、ガブバァッ」 湯に沈めた。深く。念入りに、何度も。
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