ネクロポリス
気怠い身体を引きずるようにして歩く。足取りは重く、のたのたしていて、まるでゾンビみたいだ。画面でうろうろ彷徨っているやつ。エンターキーを連打してスコアを競う。
ふらついた拍子に突き出していた枝で頬をひっかいてしまう。
小さな痛みに顔を顰め、いてえなあ、と呟くツナに一行が向ける目は複雑だ。
何しろ、昨日まで何も喋らず反応せず、正気を失っていた男が突然覚醒。人としての機能を取り戻してはいるものの、一緒に来た調査団については何も知らないという。
単純に無事を喜ぶもの、怪しむもの。中にはあからさまな不審を隠そうともしないものも居て、場は少しばかりぎくしゃくしている。
護衛の傭兵隊は別だった。彼等は彼等の隊長様が連れていたという時点で、男の存在に絶対的な信用を置いているからだ。野生の獣並のカンに冷徹な指揮官としての思考。戦う事にこれ以上適した素材も見当たるまい―――どれをとっても一流品なのだ。
その隊長様はといえば。
先行を勤めながら、頭の中は例の奇妙な事態でわんわんと鳴っていた。部下達や調査団の素人が、例の男の話を信じるとは思わない。
コロネロ自身も少しばかり疑っている。だから全て忘れたふりをしろと言い聞かせた。男は自分の状況に不安を感じているようだったが、言われたことは従順に守り行っている。
足が速くなっていることを自覚し、振り向く。
ふと目線があった。ぱっと目をそらされる。うすら赤くなっている頬と目元を見れば、あれが何を考えたかは大体想像がつく。
朝方まで押し開いた身体はガタガタで、動けるのかも怪しかった。
起きあがろうとし、あえなく砕けた腰を押さえて控えめな非難をぶつぶつと呟く男は、コロネロが日本語を解するとは思っていなかったようだ。最初に英語で話しかけたせいもあるだろう。それにしても無礼な言葉だったので驚いた。
ンなとこで変態軍人にケツ掘られる羽目になるとはとかなんとか。
男のおとなしめな容姿とはそぐわぬ罵詈雑言に、怒りより先に呆れが立ちコロネロは笑い出した。びくついて様子を伺うその顎をライフルの先で押し上げ、にやりと笑って言ってやった。
「んだとコラ」
「ひっ」
散々脅しつけて大人しくさせた後、携帯食料片手に話を聞いた。最も、会話と思っているのはコロネロだけで、されたツナにしたら恐怖の尋問だった。生で軍人にされる詰問にしどろもどろになりながらもなんとか答え、自分の人生までも話し終えたところでやっと解放されたのだから………
一行は一度目の訪問よりもずっと早く遺跡へ着いた。装備が軽いのが、やはり大きい。
到着と同時、きびきびとした動作で武器を構え、素早く配置につく傭兵たちに調査団はやっと仕事に取りかかった。映画みたいに、思いっきりすまして派手に振る舞ってやれというのはコロネロの指示だった。奴らには必要なのだ。
「おい」
所在なさ気にシャツの裾を握って立ちつくしていた男に声をかける。
ぴょんと飛び上がって今にも逃げ出しそうな様子は、臆病な野ウサギのようだ。狩られる前に此方で捕まえて置かねばならない―――今のところ、唯一の残留者なのだ。
指でだけこっちへ来いと言い、少し見回ってくると隊の副リーダーへ伝える。神妙な面もちで頷き、小声の返答は「いつからガキのお守りが出来るようになったんですかい?」
「ガキ?」
「ありゃ何も知りませんぜ。きっと騙されて連れてこられたんだ」
「やけに気にかけんなコラ」
やっぱ30って信じませんよ。多分ウチの息子と話あいます。
そう言って口元だけ僅かに笑う。朝方、対面時一番先に話しかけたのは彼だった。
やはり面倒見がいい。染みついているのだろう、控えめな礼もぎくしゃくした会話もすぐ越えて、頭をかき撫ぜて笑っていた。
「後を頼む」
「了解しました」
ではその男を捕まえて一晩中犯していた自分は極悪人だろう。言わないでおく。
森に入って直ぐ、男は距離を取って歩き出した。
既に知っている道なのだろう。藪を払い、サイズの合わない靴をかぽかぽ言わせながら突き進む。
しかし幾らも行かないうちにぐらりと傾いだ。
「どうした?」
「………ッ」
見下ろしてわざと冷淡に問うと、大きな目が非難を湛えて向いた。細い喉頚が上下する。
「理由は話した。お前を正気に戻すためにやった」
「礼を言えって?」
ありがとうよ、吐き捨てる顔は憮然としている。
「…れにしたって、朝までやることは………それに…俺もう目が覚めてたのに」
「そいつは気付かなかった」
「嘘だ!」
真っ赤な顔で噛み付く。確かに、子供っぽい。
軽くあしらうと余計熱くなるところなど、そのままだ。一体こんな有様でどうやって世間を渡ってきたのやら―――
コロネロがやれやれと首を振ると、男はぐうぐう唸りながら立ち上がった。
手を貸すような親切は生憎無い。
最も、これでは自分に触れる事すら厭うだろう。
「例の沼まであと少しだよ。さっさと行くぞ!」
「………こっちは待ってんだぜ」
学者達は最初こそおっかなびっくり遺跡の周りをうろついていたが、幾時もしないうち熱中し始めた。人の知識欲は時に恐怖を凌駕する。
何も収穫のないままに戻ってきた二人を、渋面の副隊長が迎えた。
「今夜のキャンプをご所望だそうですよ」
「装備がねえ」
「残念ながら。俺達にはね。向こうさんは、作りは安いですが大型を持ってます。機械用の」
そっちの首尾はどうですかと伺う目線は、例の男に向けられた。
「一度はいい。契約期間はもうすぐ終わる。取りに戻るか」
「うんざりですね」
水源が無い場所でのキャンプ。基本的にならない。
火を焚くだけは焚き、ボトルの水と缶詰を開ける。こういう食事に兵は慣れきっているが学者共はそう行かなかった。
食が細り、慣れぬ熱帯の暮らしで体調を崩しながらも目だけはギラギラしている。
「沼の水は使わない方が」
「分かってる」
流れのない、生き物もいない水を水質調査もせずに口に含む愚はおかすまい。
話からすれば。お前に言われることこそ納得がいかないと、少々斜めの視線をやれば男は肩をすくめて蹲った。
その様子を目を細めて見ていた副リーダーが、ふと思いついたよう呟く。
「サワダ」
「あ、はい」
「下の名前は?」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げる。たまらず笑い出す強面の傭兵達に男はキョロキョロと忙しい視線を送り、最後に消え入るような小さな声でつなよし、つなよしと繰り返す。
無理だろう。
コロネロは低めた声で、喉奥でくつくつと笑った。案の定皆難しい顔をしてトゥナ、チ、チ………と難解な発音に四苦八苦している。
「綱吉」
しっかりした声で呼ぶと、部下だけでなく男も目を見張った。
完璧な、漢字に聞こえる発音だ。
「綱吉。もっと呼びやすいやつ、ねえか」
逃亡防止に取り上げていた身分証を取り出す。
突然母国語で呼び、話しかけられた事で男は持っていたカップを取り落としかけた。わたわたと慌てて持ち直す。
「な、なん、で」
「別に」
部下達が知らない言葉だからだ。
日本語は複雑で覚えにくい。多種多様な表現を生み出した結果恐ろしいほどこんがらがった言語体系、読むも書くも非常に面倒臭い。極東の島国は平和で、用がある場所ではなかった。
「ええと………そうだな俺…は、ツナって呼ばれてた」
「ツナ?」
「つなよしのつな。………マグロじゃないよ」
二人だけの会話をうち切って、早口で訳す。魚じゃないんだという自己主張も含めて。
ツナ、ツナ?ツナ…
口々に呼ばれて面食らった顔が火にあぶられて赤い。
異変を感じたのは、ぐるりと回ってキャンプ地へ戻ってきた時だ。
夜を徹して遺跡に齧り付いている学者に呆れ、退屈にあくびをかみ殺している部下の顔を見。一時間程仮眠を取るつもりで火を囲んでいる2人、に気付いた。
「アイツは?」
「少し前に」
指さされた奥の森がざわりと鳴る。便所じゃないのかと笑うのに、ちらりと一瞥を返してコロネロは足早に森へ踏み込んだ。
構えた銃がカチャカチャと鳴った。抱きなおして無意識に唇を押しつける。まじない。そう、こんな自分ですら。
気配がして目を凝らし、耳を澄ませる。はっはと荒い息がして、藪の中に蹲る背が見えた。
「ぅ………く、そ」
骨張った肩が激しく震えている。息づかいが雑で、無防備だ。視線を傾ければしていることがよく見えた。
男はズボンから引きずり出した性器を握り、悪態をつきながら擦り立てている。
自慰と言うにはあまりにも傷ついた風情だった。原因は―――
俺か。
音をたてず後ろに立つ。俯けられ、晒されたうなじにかかる後ろ髪がじっとりと汗に濡れている。ひい、と小さく声を上げ、吐き出した。
どくどくと指の間から溢れ出す精液。
瞬間、ぽろりと頬に零れた涙が薄い肉を伝って落ちる。
すん、とすすりあげて手の甲で鼻を拭い、男の動きが止まった。風が来る。
鼻を掠めた甘い匂いは覚えがあった。
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