熱射
「…水だってよ」
「町の旦那が飲む水だろう、それは」
「外国人がな」
外国人、という言葉に反応して、男達が此方を向く。
大きな目が幾つもギョロギョロと動く。それが可笑しくて笑うと、生ぬるい笑いが返ってきた。
多分、俺は頭がおかしいと思われているのだろう。
腹は立たない。それは本当だった。
俺は、自分が誰で、どうして此処に居るのか思い出せないから。
「そうだ、お前ならいい」
「…俺?」
此処の人間は、俺が殆ど喋らないので言葉が分からないと思っている。
バカにされるのもノロマ扱いされるのも心地よかった。子供達とその母親が俺の世話をし、仕事を教えてくれ、食わせてくれる。
十分じゃないか?
「俺が、何?」
「町の旦那だよ。偉いんだ」
「俺達は町に出る。旦那とは話しちゃいけない、本当は」
「お前はいい」
可笑しくなる。
俺は元々此処の人間じゃないし、それは肌の色を見れば分かる。顔つきも違う。
でも彼等の中では子供と同じ扱いで、現状はそれに相違ないから笑ってしまう。俺は頷き、冷たい水で満ちたカメを持ってふらふらと歩き出す。
数年前、此処の人たちに拾われてからずっとこうだ。
多分頭がどうにかなってしまったんだろうけど、俺には薬があるから大丈夫だった。
薬はあと二瓶残っている。
薬を一日二つ、朝と夕に一回ずつ飲む。
これを飲まなければ俺は死んでしまうので。
多分、彼等が言っている旦那の家は此処だ。
前の旦那は長持ちしなかった。すぐに車が来て、町へ戻っていった。多分ヒコーキに乗せられて――このヒコーキが時々空を飛んでいる凄い音のアレというのは、俺が皆に教えたけど――違う国に行くのだろう。
国という概念も彼等はつい最近まで持たず、または気にしないでいた。
おかげで説明するのに苦労したが、説明している間に頭がごっちゃになって痛み出すから彼等は止めろと言う。
そんな時此処の人は俺を怒鳴ったり、小突いたりしないで、『お前の頭の中には小さな羽虫が住んでいて、それが考えるのを邪魔してるんだ』と言ったりする。
頭の中に虫が住んでいたらそりゃ寄生虫だし、生命の危険すらあると思うんだけど、それは言わないでおく。多分例えだから。
俺は、薬を飲まないと頭がわんわんして苦しくなる。前に居た場所では無口な若い男達が――多分兵士だ――俺を怒鳴ったり、避けたり、無視したりしていたから、辛かった。俺は此処が好きだ。だから皆の役に立つなら、俺が出来ることならなんでもしようと思う。
だから、重いカメを持ってふらふらしながらも、家へ来た。
"町の旦那"もしくは"外国人"は庭で木を見上げていた。
背の高い旦那だった。何処の国なのか。
髪の毛がは黒、肌は白い。
俺に比べて、だけど。
背の高い木だった。
俺はカメを下ろして、旦那と同じように木をてっぺんまで見上げた。
凄く眩しい。
「誰だ?」
俺が声を上げたので旦那は気付き、振り向いた。けど見えない。
太陽の光が強すぎるのに、うっかり目に入れてしまったからだった。
「どうした」
「痛い、痛い」
「目だな? 何か入ったのか」
「陽が眩しい…」
項垂れる俺の肩に手を置いた旦那は、ちょっとの間考えていたが、やがて静かに手を下ろして腰に当てた。
「お前…此処の人間じゃないな」
「水を持ってきたよ」
俺の片言の現地語に比べ、旦那の流暢な言葉と言ったら。此処の人間みたいだ。
まだ痛い目を押さえて顔を上げると、グイと手を取られる。
「見せろ」
「痛い…」
「ほら」
ぎゅうと目を瞑った。ぼろぼろ涙が零れる。
それを無理矢理こじあけるようにして、指が頬に食い込む。
「痛い痛い痛い」
「お前……日本人か?」
頭の中を、虫が、虫、
「ニホンジンってなんだっけ」
「日本語を喋ってる。日本人だ、お前は」
「日本…」
頭が痛んだ。
違う事をしよう。
そうだ、水。
俺は屈んで、カメの横をピタピタ叩く。
「水だ」
「分かってる。なんでまた言葉を戻す? 不自由だろうに日本語で話せオレは分かる」
「頼まれた。俺、家のことをするよ」
「話を聞いているのか?」
旦那が耳を掴んだ。ぐいぐい、引っ張られる。
「痛い」
頭がわんわんする。ニホン、って言葉を聞いて以来だ。
懐かしいような、怖いような妙な気持ちだ。
「水…」
「分かった。貰う」
「良かった、手伝うから俺」
木を見上げる。今度は光を目に入れないよう、緑の葉の部分を。
「立派な木だね」
此処の人たちは木を褒めると嬉しそうな顔をするのに、何故か旦那は険しい顔をしていた。
2007.4.30 up
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