肉屋
ケースにずらりと並んだ冷凍肉を穴の開くほど凝視しながら、自分のこんな姿は絶対部下に見せられないと思う。
カートに積んだ食料品はそろそろカゴから溢れてしまいそうで、更にこのでかい肉の塊を乗せたら崩壊は必須だろう。大体ここの肉は美味そうではない。
冷凍品は何処の国からどういうルートで来たか定かではないし、値段から見ても安すぎる。安いのは良いことだが、今この場合は良くないのだった。
結局溜め息を一つ吐き、売り場を通り過ぎる。
必要な調味料を揃えたら、それで此処は満足するべきなのだろう。
思案した結果、少しルートを外れるが隣町まで行くことにした。
其処には食肉工場があり、頼めば小売りもしてくれる。
肉をキロで仕入れるならそっちの方が楽なのだ。
決意すると、男の行動は早かった。
彼は天井から吊された広告に頭をぶつけながら、ずかずかとレジに直行する。
並外れて長身なのである。
更に身体に厚みがあり、顔つきに迫力があり、小規模な町のマーケットなどにはまったくそぐわぬ人物がカートに満載した食料品をレジに通す間ずっと難しい顔でパネルを睨んでいたので店員は生きた心地がしなかったが、彼の頭の中はこれから過ごす楽しい休暇の事でいっぱいだった。
店員が震え声で金額を告げると、男は懐から札束を出して数え、払う。
小銭を受け取ると、一瞬判断に迷う表情を浮かべた後、無造作にポケットに突っ込む。
「どうも」
短く告げられた礼の言葉に、店員はようやく肩の力を抜いた。
ハンドルを操りながら、バックミラー越しに後ろに積んだ荷物をチラリと見る。
コロネロは上機嫌だった。
ほぼ二年ぶりのまとまった休暇。これから丸々一ヶ月も!
海軍に居た時は定期的に休暇を取れはしたが――有事の際には一番先に呼び出されるので、しょっちゅう邪魔が入ったものだった。
それを考えれば、今の方がマシかも知れない。
ボスは自分で、契約も自分で決める。
長期間みっちり働いて、悠々と休みを取れるのだ。誰に憚ることなく。
今頃はチームの皆も羽根をのばしているに違いない。
家族の元へ帰るという者、バカンスに出かける者、違うチームで仕事をする者と皆休暇の過ごし方は様々だが、解散前のウキウキした様子を見れば、それを心待ちにしているのが分かる。
かく言う自分もそうなのだ。
コロネロには顔を見せる家族も恋人も居ない。
ねぐらにしている家はあることはあるが、ずっと帰っていない。
彼は家には一度も寄らず真っ直ぐ此処へ来た。古い知り合いから土地ごと買い取った山小屋で、どうしようもない所に手を入れた他は、庭も道も弄っていない。
静かなこの場所で、仕事中に出来なかった全ての事をやる。
その計画の中心に、でかい肉の塊が必要だった。
(あいつらには絶対バレたくねぇな…)
コロネロは料理が好きである。食べる事も大好きだ。
険しい顔つきや職業からは想像し難いが彼は美食家であり、自ら包丁を振るうことも厭わない。
自ら厳選した食材を調理し、食べる。こんな贅沢は無いと思う。
時間と手間を思いっきりかけて料理をし、古い山小屋を修理したり辺りの手入れをしたりと、他に何も考えないようにしてゆったりとした時間を過ごす。
これが、その世界では鬼と恐れられる傭兵部隊隊長の理想だった。
ごつい商売をしている割に、実に牧歌的な趣味を持つ男である。
当然部下に知れたらからかいの的になるので、これは彼の割と大事な秘密だった。バレたら相手の記憶が飛ぶぐらいぶん殴るつもりでいる。
知っているのはおむつをしている頃からの腐れ縁一人と、山を売った地主ぐらいのものだ。彼は其処に客を入れるのを好まず、一人で過ごす時間を大切にしていた。
一ヶ月分の食料を積んだ車を、彼は意気揚々と飛ばした。
大通りから――少し離れた町外れの食肉工場は、つぎはぎだらけのトタン板とクリーム色の壁で構成されている。
従業員はそう多くない。確か家族経営だった筈。
外では巨大なファンが唸り、独特の匂いを散らしている。
雑草が伸び放題の敷地内には、崩れた箱や壊れたアルミの流しなど雑多なゴミが積んであった。
水たまりに突っ込むようにして車を乗り入れると、人が出てくる。
「何か御用ですか?」
四、五十代ぐらいの、恰幅の良い男だった。にこにこと愛想が良い。
血の染みついたエプロン姿でなければ、もっと印象は良くなるだろう。白地なので余計に目立つ――しかし、そんなものは慣れているせいか、コロネロの目には特に変わったようには映らない。まったく気にせず、寧ろ陽気に答える。
「ステーキ用の肉が欲しいんだがな」
「では此方へどうぞ」
建物の一部は小さな店になっていた。
奥は肉の貯蔵庫らしく、ずらりと吊された枝肉という予想通りの光景が広がっている。
「どれにします?」
「そうだな…」
小売り用のケースを覗き込む。
流石に工場だけあって、色味の鮮やかな良い肉を置いている。
新鮮なものより何日か寝かせた方が美味いらしい。どの辺りがいいだろうかと、わくわくしながら品定めをし、そのうちの一つを指さした。
「こいつ」
「はい」
「みたいなのをあの塊でくれ。冷凍してないやつだ」
吊した肉を指さしたコロネロに、男は呆気にとられたような表情をした。
が、すぐに笑顔に戻る。
「…少しお待ち下さい」
此処で待つようにと言うと、そそくさと奥へ消える。
流石にやり過ぎだろうか。
いや、肉をバラすぐらいはどうってことない。
燻製肉を作っても良い。用途は色々ある。
休暇は一ヶ月あるのだ。
「余裕だな」
肉切り包丁を研ぐ所から始めねばなるまい、とコロネロが決意を固めていると、
「よっと」
奥から出てきたのは、先程よりももっと若い男だった。
大抵の人間は見下ろす事になるコロネロと、正面から視線が合う。
(でかいなこいつ)
自分を棚に上げて思う。
無骨な造りの団子顔に黒と金の混じった髪がくっついていて、無表情に此方を見返していた。さっきのやつとは正反対で、愛想というものがまるで無い。
男は巨大な袋を抱えて台におろし、一言
「肉」
と言った。
「こいつか?」
「…」
こくりと頷くと、指を三本出した。
「よし」
封筒から出した札を数えている間、男は無言で客を見つめていた。
感情のこもらない、虚ろな目つき。
「バラすなら、そこを使えばいい。血は要るか?」
「はあ?」
「容れ物を持ってくる…」
「おい、金」
今度はコロネロが呆気にとられる番だった。
相手は訳の分からない質問をした挙げ句、ぶつぶつと口の中で呟いて行ってしまった。
(なんだァ?)
が、彼の注意はすぐに肉の方へ戻った。
銀色の厚みのある袋は、上から触ると適度な弾力がある。
冷凍ではない。日付は昨日。
完璧だ。
カウンターに代金を置くと、コロネロは肉の塊を担ぎ上げた。
「こいつを使えって?」
確かにこの大きさを、台無しで切り分けるのは難しい。此処なら道具も揃っているようだ。
ステンレスの大きな流し台へモノを転がす。
他は薄汚れた店だが、その流しと並べられた道具だけは一つ一つ紙にくるまれ、ピカピカに磨きあげられていた。
刃の状態を確かめ、満足した後、コロネロは刃を構えてにんまりとした。
いよいよ気分が高まってくる。
広く開けた台の上に肉を広げ、好きな部分から切り取っていく作業は楽しい筈だ。
焼くところと煮込むところと薄くスライスして湯を通すところと…と、夢は肉の分だけ広がっていく。
足の部位で括ってあるヒモを解き、コロネロは袋を開けた。
「……あ?」
ぐにゃぐにゃとした感触。
散らばった茶色い毛。薄いブルーの皮膚。表面。いや。
「…ぅ」
その塊は粘着テープの奥からくぐもった声を出し、薄目を開けた。
目が合う。
「んうっ?!」
「うわっ!」
「ん、んん、ん――ッ!」
肉である筈のそれは、コロネロを一目見るなりジタバタと暴れ出した。
「はっ…? あ、いや違う」
慌てて手に持っていた包丁を台の上へ置く。
「んんっ…」
怯えた目をしているそれは、紛れもなく人間だった。
汗だくで、頬には泣いた痕があり、膝を抱えた体勢のまま縄で括られている。
誤解されているのは、その目をみれば分かる。
恐怖の色がありありと浮かんだその目はこぼれそうな程大きく見開かれていて、何をした訳でもないのに妙に罪悪感を煽られた。
「今外してやる」
ビクつくその口元からテープを剥がすと、悲鳴の代わりにシュウシュウと掠れた音がした。
身体を縛っている縄を解くと、萎えた手足を必死で動かし、這って逃げようとする。
哀れに思って手をかければ、全身にびくびくと緊張が走る。
「大丈夫だ、落ち着け」
「う、う」
「どうしたんだ、お前」
本当は今すぐにでも逃げたいのだろう。
長時間縛られていたらしく、足がうまく動かせないでいる。
無理に動かさず、上着を脱いで丸め、枕にする。汗まみれの顔を手で拭ってやると、警戒していた表情が幾分か和らいだ。
「み…ず…」
「水か?」
口元に持っていくと、貪るように飲む。
緊張と乾きで青白い顔。
水が縁から零れそうになる。
骨の浮いた腕を抑えると、強い力で手を掴まれた。
「助けてくれ」
赤く腫れた口元が痛々しい。
「ここは」
2010.3.26 up
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