温泉休暇

 

 里帰り中の綱吉の元に、血相を変えた六道骸(超レア)が現れたのは午後八時を過ぎたくらいだったろうか。
 部屋で夕食をいただいて、ゆったりと窓辺で涼んでいたところ、絨毯敷きの通路なのにやけにどっどっど、と響く足音がした。なんだろうかと思いつつ、そっちに顔をやるのが面倒でひたすら外を眺めていた。今日は町内の盆踊り大会があるそうで、先程から賑やかな音が聞こえている。懐かしいな、盆踊り。お祭りとか、いいよね。
 その間もドタバタとドアの前で物音は続いていて、細かく擦れ合う金属音の後ガッチンと錠の解ける音がした。チャチなホテルの鍵が何者かにこじ開けられたようだった。
 入っても其処に綱吉はいない。このフロアの部屋は全て二間か三間続きの広いもので、綱吉は一番端の和室ゾーンに居たからだ。足音が迫ってくるので一応懐に手は入れたものの、よく考えたら銃はベッド脇のチェストに置いたままだし、そもそも綱吉の銃の腕はお粗末で話にならない。従って何をするのも無駄という話。よし。
 襖をすぱーん! と開け放って現れたのは、予想している中でも一番遠い顔だった。
 日本に常駐している雲雀やフットワークの軽い山本、ツナの後を十年間忠実につけまわし続ける男獄寺を差し置いて何故この男が此処に居るのだろう。
 むしろ居ない。つかまらない。
 此方から連絡を入れたくても、本人に直接繋がるまで平均十二回誰か何かのルートを経由しなければならず、散々焦らして『やっぱり気分じゃないですね』と言われた時は本気で縁切りを考えた。
 そういう……よく言えば自由、普通に言えば自分勝手、悪く言えば俺だって気分じゃねぇよクソ野郎、な骸が、今は肩で息をしながら大きく目を見開き、自分を凝視している。
 その必死な顔を見た時、感じたのはどうしようもない苛立ちと疎ましさであり、しかし綱吉の機嫌は少しだけ上向いた。この男にそんな表情を浮かべさせた自分によくやったと褒めてやりたいくらいで――それで、こいつ、なんでこんなに切羽詰まった顔して立っているんだろう? 見当もつかない。
 純粋にクエスチョンマークを浮かべ、それゆえに眉を顰め渋い表情を作った綱吉だったが、相手の方はそう取らなかったらしい。(ひねくれている)
「酷い顔だな。何です、何か文句でもあるんですか? しねばいいのに」
 会って早々言われる言葉じゃない。
 軽くしね、という挨拶をいただいて綱吉の表情筋はますます強ばったものになったが、忌々しく吐き捨てた風の台詞とは裏腹に骸はずかずかと部屋に入り込んできて(土足)、窓辺に置かれた長椅子へ仰向けにごろりと横になっていた綱吉を渾身の力で抱きしめた。うん、ちょっと中身出そう。
 はあはあと荒い息が耳元で吐かれていて、気持ち悪い。
 だが微かに詰まったような声が細かく震えているので、突き放す事は出来なかった。何があったか知らないが骸はこっちに何かあったと思い、もしくは思い込まされて此処まで飛んできたのだろう。
 ぎゅうぎゅうと力を込める腕は遠慮が無く、常備されているツンとした気配も口先だけのもので――あなた、ばかなんじゃないですか、こんなところで、一人――息切れしながら語る言葉のどれも力がない。
 落ち着くのを待って、綱吉は自分を強固な力で締め上げている男に声をかけた。
「…なあ、どうかした?」
「どうもこうも」
 骸の話によれば、ボンゴレのトップは人生に嫌気がさし、早々の引退を考えて一人母国へ帰ったと言う。彼は酷い精神病を患っており、死に場所を求めて生まれ故郷に帰ったのだという『裏事情』も付随する。
「なんだそりゃ」
「……」
「それで、信じたの? 俺が自殺寸前だって?」
「全然信じてませんけど?」
 真顔で嘘を言うこの男がどれだけの感情をその胸に抱いたか、残念ながら綱吉は容易に想像する事が出来た。
 幸か不幸か自分たちはマフィアのボスと契約者、敵、という関係以外にもう一つ、血迷った関わり方をしてしまった。
 そのせいで綱吉はこの一見気難しい男の実は単純な胸の内とか、『口で言う』のと『思っている』のと『思っている、と、そう思い込んでいる』のと――区別がつくようになってしまい、ほとほと困り果てている。単に嫌いだ、苦手だ、可哀想だという感情(最後のは言うと怒髪天を衝くので黙っておこう)だけではない何かが其処には確かに存在する。
「そういうのじゃないから。ただの休暇だから。疲れたから休んでるだけ」
「……わかりました」





 湿り気の多い空気のせいでしっとりと背に流れる髪を掴み、梳いて、その頬を撫でてやるだけの想い。
 それがいつ生まれたものか、綱吉は正確には覚えていない。
 会う度思い知らされる立場を悲しんではいたけれど、だからと言ってこんな関係になりたいと思うわけもなく、時折向けられる敵意と表裏一体の、激しい感情の正体も随分長いこと知らなかった。
 君を傷つけたい、奈落へと突き落とし、絶望するのが見たいのですと言いながら。
 服をひん剥かれて全身ねちっこく触られ、とても口では言えないような事をしてくる男の内心が、そういう……大人なアレコレについてまったくの初心者である綱吉に通じる筈もない。
 無理矢理高められていく身体。
 意識の裏でぼんやり思ったのだった。

(こいつ、俺の事嫌いだってどんだけ言うんだよ。会う度言ってるし……その割に分かったって言うと悲しそうな顔するし……正直もう面倒臭いんだけど。何なのコレ。っていうか何。なんでこいつ、そんな場所触るかな……俺でも触ったことないのに。それに、どうして勃ってんだ? 何もしてないのに……)

 だから嫌いだ嫌いだと言う口を、なんとか一瞬だけ自由にした手で塞いで。
 一瞬暗い光を放つ色違いの双眸を覗き込み、言ったのだった。

「もしかして骸、俺のこと好きなの?」
「……ムグ?!」

 何を馬鹿な事をと続く言葉を聞きながら思った。じゃあとりあえず俺の尻から指抜いてくれ。動かすのもやめれ。きっちり前弄りながら身体で説得しようとすんの禁止。
 ぐつぐつと煮えたような身体の反応とは裏腹に、綱吉の意識は恐ろしいほど冷静だった。
 その、この世一番馬鹿らしい言葉とやらを俺が言った途端目線が逃げてるのは誰だ。うろうろって、すごく落ち着かない。顔は真っ赤。呂律も回ってない。そのくせ一向に手を止める気配はなく、ネチネチと、ああしつこいったら。
 罵声を浴びせながら首筋に顔を埋め、熱心に幾つも痕を刻む頭を抱え込む。
 分かった分かった。ああ、はい。分かってないです。俺は何も分かってないですよ〜。
 ぐずぐずと湿ったような声が落ちてくる。汗か涙かよく分からないものもぽたぽたと顔に降ってきて、開いていた口に落ちた。しょっぱかった。
 多大なる苦労と繰り返した深呼吸の末、半分程埋まったそれのせいで呻きっぱなしの綱吉を抱きしめながら、そこでやっと骸はその言葉を口にした。
 その後は多分、それなりにスムーズに事が運んだ……ような気がする。
 自覚というのは偉大、という話。まあどうでもいいか。
 閑話休題。





「骸、夕食は?」
「お腹空いてませんから」
 月日が流れた結果、二人だけの時は躊躇いなく触れてくるようになった。
 年をとって素直になったのかもしれない。
 素直過ぎてもはや遠慮がない。
 足に手を置き、内股をゆっくりと撫で上げてくる手つき。
 傍目には相変わらず殺伐としたやりとりをしながら、人目を盗んでこんな事をするくらいには親しくなった相手をじろりと見やり、綱吉は首を振った。
「悪いけどやんないよ。言ったろ、俺すごく疲れてるって」
「……」
「此処には休みに来てるんで、俺は一切何もしないって決めたんだ。飯は食うけど部屋まで運んで貰うし、自分ではお茶だっていれないよ。風呂だって誰かに洗って貰うつもりだ」
「誰にですか」
「なんかその辺の適当な人」
 多少大袈裟に言ったきらいはあるが、本気である。
 問題は、綱吉が掃除のおじさんにデッキブラシで背中をゴシゴシ洗って貰うユニークな想像をしていた頃、骸は全然違うものを発想したらしいという、単純な事実。
「許しませんよ」
「いやだって俺温泉入りに来たんだし」
「僕というものがありながら……!」
「いや、温泉よ? 高いんだこのホテル。断られても電話一本で親切な人が呼べるサービスもあるらしい」
「……」


2012.8.17 up


02.

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