パートナー
外見に似合わず、中は忙しく人の行き来するなにやら得体の知れない施設だった。
先を行く"むくろ"の背中を見ながら、眼鏡の男に引きずられる。
腕を掴まれているのである。
いやだ、離せと言ったって聞くもんじゃない。無愛想が服を着て歩いている。ツナは精一杯意地を張ってだだっ広い通路で踏ん張ってみたが、じろりと一睨みされ慌てて後に続く。
「ご主人様」
くるりと振り向いて"むくろ"は言った。
「どうしました?」
「どうしましたってお前」
隣に立つ眼鏡の男を見る。
「彼なら大丈夫、僕の命令に反することはないでしょう」
「おも、思い出したのか?」
「さあ…なんとなくそう思っただけです」
「むくろさま」
其処で初めて眼鏡の男は表情らしきものを浮かべたのだった。
それは不安か、戸惑いだった。僅かに寄せられた眉と眉間のシワが彼の苦悩を象徴している。
「ここへ来てもまだ―――思い出せませんか」
"むくろ"はにこにこと笑っている。否定も肯定もしない。
それだけでツナは分かった。"むくろ"は何かひっかかるものを感じる程度で、とりあえず体が動く方向に歩いてみただけなのだ。変化を期待したがそれはないのだ。
「もうちょっと時間かけてみたら?」
あんまりガッカリした様子だったので、ツナは眼鏡の男に言ってみた。
「ムクム………むくろ、さんだって、急に連れてこられてハイ思い出せってったって無理な話だと思うよとりあえず………」
「とりあえず?」
そこで眼鏡の男はやっぱり初めて、ツナに注目した。
じっと眼鏡の奥から見つめられている。
「少し、休ませて………」
ツナはぐったりした。バイト後、サカったキメラに便所で襲われワンラウンドキメた挙げ句、雪の中を転がって車に乗せられて広い施設内を延々歩いているのだから―――
腹も減ればくたびれる。
「………分かった」
そこからすぐ案内された部屋は、来客用の応接室だった。部屋の中は適度な暖かさに満ちており、座り心地の良いソファーはあるわ、茶の用意はしてあるわ、お菓子まで来た。
大喜びでそれをがつがつ平らげていると、それまで大人しく隣にチョコンと座っていた"むくろ"が不意に囓りかけのクッキーを落として呟いた。
「どした?」
「ねむい、です」
「ねむいぃ??お、オイ!」
そのままくたんと頭を落とす。しかも、膝の上に。
慌てて周囲を見渡すと、向かいに座っていた眼鏡の男とばっちり視線が合った。
「こ、こらー!歯磨かないと虫歯になるぞ」
「ん………」
恥ずかしさのあまり髪をひっぱったり、耳をひっぱったりするが全然起きない。そのうち眼鏡の男が立ち上がり、かけるものを持ってきた。
「あ、う、すんません」
「………」
受け取って寒くないよう、かけてやる。このままだと足がしびれそうだ。
面倒だなあ、恥ずかしいなあ、このアホ!
ツナがいろんな思いで情けない面をしていると、眼鏡の男は眼鏡を押し上げてぽつりと呟いた。
「…千種」
「はっ?」
「柿本千種」
「えーと…」
眼鏡を押し上げながら言うその言葉、名前が、目の前の男の物だと分かるまで少し間があった。
「柿本さん。ハア」
案外普通の名前だなあ………
ツナは引きつり笑いを返す。
「俺は」
「沢田綱吉」
「………どうしてそれを?!」
「全て調べた」
最初からそうだ。
意味ありげな言葉と共に、柿本千種は立ち上がった。
「食事を運ばせる。ゆっくりしていくといい」
「最初?ゆっくりって俺―――帰らないと」
「それは出来ない」
「なっ」
「指示が無ければ俺は動けない。…出すわけにはいかない」
「指示って誰が」
すうすうと静かな寝息を立てている"むくろ"を一瞥し、柿本千種は頷いた。
脇ですうすうと眠る"むくろ"を完全おいてけぼりにして、ツナは身を乗り出した。
小声で、眉を寄せ、そっと小さな声を出す。
「どうなってんですか」
「………話すと、長くなるが」
「かまいません」
っつか、状況も分からないまま足止めされるのは困る。
冬期休暇とはいえ、バイトは入っているし友人達は皆一様に心配性だ。少しでも連絡が付かなければ探し回るだろうし、大声で呼ばわりながら町を練り歩きそうなのも一人居る。いつの間にか静かにキレて普段の常識的な態度が嘘のように突飛な行動に出るものも居れば、手下に一声かけて大捜索させそうな人物もまた………
ツナはブルル、と悪い想像に身を震わせた。以前そんなこともないわけではなかった。
「お願いします」
膝にアホの頭を乗っけたまま、シリアスな顔で頼んだ。
柿本千種とやらは、ツナと"むくろ"の顔を交互に見ながら考えていたが、やがてフウッと深い息を吐いて頷いた。決心がついたようだ。
「俺のことを知っていたんですよね」
顔色を確かめながら言う。だが眼鏡を乗っけた白い顔は殆ど色を変えることなく、淡々と語りだした。
「知っていた。その時期注文のあった客のリストから骸様が直々に選んだからな」
「そのむく、むくろ?さまって―――」
「このエンブレムに見覚えは?」
柿本が懐から出したのは、高そうな造りのライターだった。
100円じゃない。オイルを入れる、値もはるやつだ。重厚な金属面にくっきり浮き出た模様はギリシャ神話の海神が持っているようなトライデントに、蛇がぐるぐる巻き付いたもので―――知っている。勿論。
「六道の………社章でしょ?」
「そうだ。俺は其処の社員だ」
うわっエリート!
ツナは目をパチクリさせた。六道と言えば明治で既に財閥として確立し、ありとあらゆる分野に進出を果たし、コンツェルンを形成。財閥解体にあって後もその勢いはまったく衰えず、の超巨大企業である。
すっげえ。
ツナは感心した。こうしてみると、柿本の黒縁眼鏡はいかにも頭が良さそうアイテムに思えた。
「へー、すごいですねー柿本さん」
「いや俺は………」
「すごいですって。どんなお仕事されてるんですか?」
「だから………」
「ううん、どんなかなあ。普通そうでは無いなあ。博士っぽいし」
博士っぽいって何だ。
柿本はぽかんと口を開けた。ツナの単純な思考は複雑な彼の思考の及ぶところではないらしい。
「六道は製薬会社もやってましたよねー」
「その六道だが」
しかしここで流れに飲まれてしまうわけには行かない。
柿本はツナのニコニコ世間話をぶった切り、無理矢理割り込んだ。
「一応、会長秘書という名目だ」
「ほええー!」
「そして、会長がそれだ」
「なるほどー!ふーん………………………」
待て。
ツナは感心したまま固まった。柿本が指さしているのは、自分の膝の上だったからだ。
「ふんが?」
「物心つく頃からお仕えして―――長い」
「ほえふわひは………ち、ち、ちょっと待ってちょっと待って」
人の言葉が出てくるまで少しかかった。ツナは冷や汗を垂らしながら膝の上の重石を指さした。
「コレ?が、六道の、カイチョー?」
「六道骸様だ」
「ウッソだあ!」
この場合、ツナの思考回路はキャアウソ信じられなーい!ではない。
「こんなアホが六道の会長なんぞ出来るわけがないでしょう!?昆布も食パンもわかんないよーな!朝俺の隣で裸になるのが常の変態が!起きてびっくりですよ挙げ句バイト先にまで押し掛けてきてトイレでサカりやがって―――」
うっかり口が滑ったのだった。
言ってから真っ赤になる顔色を見て、柿本は若干ばつの悪い顔をした。
「て―――………あああ」
「すまない。骸様は少々世間知らずな所が」
「世間知らずで済むかあ!」
恥も忘れて突っ込むと、柿本は今度悲痛な顔をした。
「朝隣で裸云々やら、トイレ云々は完全に予測の範囲外だ。申し訳ない」
「………」
「俺から詫びる」
詫びられても。
ツナは恥ずかしさのあまり口をぱくぱく、貝のように開閉させるが精一杯である。
「…骸様は会長業には余り興味が無い。自ら研究開発を。それで、」
「ちょっと待って!」
話止めてすんませんと謝りつつ、ツナは腰低く、一番気になっていたことを訊いた。
「じゃあこ、この人、キメラじゃなくて人間って事ですか?!」
「それは、そうだ」
「そんな!だって!」
これから説明する、と言って柿本は立ち上がった。
目で追うツナを確認し、窓辺に行ってカーテンを開ける。
「………!」
ツナが驚いたのも無理はない。
豪邸の裏に更にたくさんの建物がある。一つの町にある、いやそれ以上の施設数である。
行き来する車の量や人影から言ってかなり大規模なものだ。
「六道が管理している、遺伝子管理技術の………平たく言えばキメラの研究施設だ」
「はあ…」
あんまりすごいと人間、はあしか出てこない。
「さいですか」
「キメラに関しては骸様が発想、研究、実験全て司っている。研究主任で―――元々この技術の目的はペットではなく、戦争だった。人外の要素を継ぎ足した人工兵士一人で100人に匹敵するからな」
話がツナの理解の範疇を越えて、まるで映画みたいだ。六道、悪役の。
「しかし思わぬ所でアタリが出た。ペットやパートナーが産業として確立し、研究の方向も変わってきた」
六道骸会長様々は、どうやら研究に関しては凝り性の完璧主義らしい。
アホの今からは想像も出来ないが。
「骸様は情緒面で商品に不満があった。主人に対する絶対忠誠を擦り込めば、徹底して相手を守ろうとする。奴隷みたいに従順で張り合いが無いというわけで」
「はりあい」
「じゃじゃ馬慣らしがお好きなんだ」
そりゃ単にテメエの好みじゃねえか………
あきれ果てていると、どうやら柿本も同意見らしい。微妙に顔を顰めている。
「喧嘩もして頬の一つでもはるような、そんなのがいいという訳だ。しかし下手に反抗心を植え付けて殺人事件にでも発展したら問題だろう………自立心では家出してしまうしな」
「そりゃ、困りますね」
「骸様は各種能力の研究段階で、自らでお試しになられることが多かった。今回もそのクチで」
そこでズパッと指さされ、ツナはびくりと怯える。
「ペット、パートナーとしてその反応を見る。後付的な刷り込み機能が有効なことは先の実験で知れている、暗示による解除も可能だった」
知りたかったのは―――主人による支配を潜在意識が上まれるか。越えることが出来るか。
生活の上で反目する事が出てきたら、あっさり従うのではなく反発できるだろうか?
「それ、それで、俺………に?」
「ユーザーが女だと困る。女は常に守られ、支配されることを望む………勿論、その限りではないがその兆候が多い事は確かで、本能的な反応もそうだ。簡単に主導権を得られるのでは実験にならない。だから男に決まったが」
柿本はそこで眼鏡を押し上げ、誤魔化す仕草をした。
「………余り攻撃的、支配的な人物では困るのだろう。実験の内容からして骸様の好みもある。検討の結果、君に」
「………う」
ツナはなんとも言えない厭な気持ちになった。
「骸様の身に何かあっては困るのでね。実験中、君の支配が骸様の意識を上回るような瞬間ないしは、骸様の意識が君の支配を上回る瞬間刷り込みは解け、本来の記憶も戻るような暗示をかけてある」
「つ―――まり」
「だから不測の事態だ」
椅子に座り、がくりと頭を落とす。
悩むように頭を抱えた様子はこの人物にして珍しいのではないだろうか?
「あ、えーと。でも結構、逆らってましたけど。むむむ無理矢理、ヤられっ………たし」
「それは元の性格だ」
嫌なやつである。
「じゃあ一体」
「どのどちらでもない事態に陥ってしまった」
その時ツナは、柿本のなんとも言えない顔つきに著しい不安を覚えたのだった。
なんだろう、なんだろうか。とてつもなく聞きたくない。
「あの」
「相手を支配し、その一方でされる関係つまり―――」
「ちょと待っ」
「恋愛感情だ」
「ちょと待ってって言ったのに―――!!!!」
ギロチンの刃が降ってきたかのような錯覚を起こし、ツナは目を閉じて絶叫した。
ああ、ああ。絶対思い当たりたくない結論である。嫌だ。とてつもなく嫌だ何かの間違いだろうきっと!
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