今まで自覚こそ無かったが、自分は随分と愚痴っぽい方であると綱吉は気付いた。 沢田綱吉、年齢32歳。両親は自分を残して外国住まいをしており、気楽な一人身と言えば聞こえは言いが世の中の全てに乗り遅れた感のある冴えない男。 平々凡々な彼の人生は可もなく不可もなく正に普通の中の普通、大きな出来事も無く、まあ強いて言えば放浪癖のある父親(範囲:世界中)が悩みのタネぐらいのものだった。 そんな馬鹿オヤジを大いなる慈愛慈悲で包み込み、離婚もせずおおらかに放置してきた母親が去年海を渡った。いい加減オレも腰を落ち着けることにしたぜ、という父の言を信じたのであろうか―――いずれにしろ、落ち着ける先はなぜか日本ではなく、外国だった。着いていった母はそれまで親子二人で切り盛りしていた小さな喫茶店をいとも簡単に息子へ譲渡し、日本に残るつもりなら売るなり続けるなり好きになさいと笑顔で宣言して旅立ってしまった。 残された息子はというと――― 今更母親にくっついていく年でもあるまいにと、細々店を続けながらなんとかやっていた。世の中の景気は小さな店にあまり影響なく、常連客と近所の人にささやかなくつろぎの場を提供していた。 客の顔ぶれは大体固定である。母親が居た時は手作りの菓子や料理なども出していたが、今はギリギリメニューの半分をこなしている程度。最も、店に来る大半は飲み物と静かな時間を目当てにしているのであまり不満は聞こえなかった。用はその場所がそうあればよいのであり、皆綱吉の人となりを知っているから誰も期待などしない。 近所のおばさんが旦那や息子の嫁の悪口を姦しく話しに来るだとか、昼休みに軽食と喫煙場所を求めてさまようサラリーマンだとか。そんなものだ。 まあ変わった客も来るには来る。大抵あの父親の知り合いで、挨拶と称して母と自分の様子を見に来ていた。最も、今は大分数が減り年に1度会えるかどうか、という頻度だ。 外国の土産を貰ったり、家に泊まっていったり、色々な人間が入れ替わり立ち代り顔を見せたものだった……… 「いらっしゃいませ」 カランカランというベルの音に反応し、もう反射になっている挨拶をする。 戸口には黒服黒帽子黒コートの男が佇んでおり、綱吉は一瞬あっけに取られた後なんとか思い出し、久しぶりだねとだけ言ってカウンター席を勧める。 正にこの男こそ、筋金入りのオヤジの同類だった。 「3年ぶり………ぐらい?」 「6年だ」 「ああそう」 綱吉は慣れた手付きでエスプレッソマシーンを操り、戸棚の中の小さなカップを手に取った。男は一番最初に店に来たときと同じ物しか頼まない。 男が初めて店に来た時は、赤ん坊だった。 綱吉ではない。男が、だ。 1歳児が今同様黒スーツを伊達に着込み(でもオムツ)、エスプレッソを注文するのを当時中学生だった綱吉は口をあんぐりと開けて見ていた。偉そうな調子で口を利き、大凡赤ん坊には似つかわしくないニヒルな口調で自分を子供と断じた奇妙な赤ん坊の事は、忘れたことは無い。 それから数年のインターバルを置いて訪れると、今度は子供になっていた。 生意気そうな顔つきをして、やっぱり黒スーツで。 父親がいない間は頻繁に訪れていたのが、最近はしばらく見なかった。最後に見たのはそう確かに―――6年前。 あの小さかった赤ん坊がすらりと背の高い美少年になっていたので綱吉は仰天したのだが、口から出てきたのはハアとかヘエという気の抜けた返事だけ。 それが今度はコレか。 綱吉が驚くのも(これでも驚いている、これでも)無理は無い。線の細い美少年はがっしりした立派な成人男性になっており、肩の線も顎のラインも未だに高校生に間違えられる童顔の綱吉とは比べ物にならない。 「母さんも父さんも居ないんだけど」 「知ってる」 「そっか」 綱吉はコーヒーを出し終わると、無言で乾燥パスタを湯で始めた。 他はそこそこだがこれだけは奈々も褒めちぎる、ケチャップで真っ赤なナポリタンを作り始めると、店の中はそのいい匂いでいっぱいになった。 男は相変わらず静かで、黙ってカップを口に運んでいた。 「この界隈も騒がしくなったな」 「そうだねー。どんどん土地が買い上げられてるって噂だね」 「此処には来てないか」 「ちょくちょくと」 二人分のパスタを作り上げたところで、綱吉は店内を見渡した。 男の異様な雰囲気に飲まれたか、客は全ていなくなっていた。無言で表に出ると札を返し「本日休業」にしておく。 「まいったまいった」 土地買い上げの魔手は直綱吉の店にも届くだろう。 一抹の寂しさを感じるが、店を手放すことに綱吉は驚くほどクールだった。愛着があるといえばあるが、ここは母の店である。 「売ってもいいんだけどさ、別に。どうせ儲からない店だし」 男は饒舌な時もあれば、今のように無口な時も多い。 そんな時自然と綱吉の口数は多くなり、なんというか、全体的に湿っぽい口調になる。 「仕入れとかも面倒だし………人相手も疲れるしー。あんま商売向いてないんだよねー俺。母さんと違って」 「………」 「かと言って今さら会社務めもなんだろー?なんだかんだ言って俺も今年で32だからアーやだやだトシってとりたくないもんだねー」 「ああ」 ―――ぐだぐだしてやがる。 綱吉は自分で言っているにも関わらず、その口調にうんざりした。愚痴を吐くタイプじゃないと思っていたのに………身内以外は。 母親が居なくなったから今度は古い知り合いか、と思うとなんとも微妙な気持ちになった。 男はおざなりな返事をしながら綱吉の作ったナポリタンを口に運び、ものの5分で完食した。 丁寧に紙ナプキンを使って口元を拭い、綱吉が慌てて出した水を呷る格好を見ていると、同じような光景がよみがえる。 ああ。 思い出してみれば、綱吉は最初からこいつにはぐちぐちやっていた。 赤ん坊が訪れたその最初から今日テストで7点を取って先生に怒られた話をしていたし、脈絡のない子供のおしゃべりにつき合わせていた。 「騒がしいやら息苦しいやらだよ。昔はこの辺も神社があって林があって畑もあって………今じゃ全部店とかビルに大きな道路が開通しちゃったし、冬になると咳がとまんないからねえ。どっか空気のいい田舎でのんびりしたいよねー」 「………」 「田舎じゃ土地も家も安いんだろうなあ。暮らしていくだけの小さな畑とか作ってさ、静かで………面倒もなくて………」 まるで人生に疲れた4、50代のサラリーマンのセリフだが、綱吉は割と若いときから口癖のように言っていた。 実は大学生の時から「理想の田舎暮らし」について語る癖を持っている。母親の奈々がそういう憧れを持っていたので、綱吉の口癖にもなってしまったのだ。 ドサドサドサッ。 唐突に男はカウンターの上にトランクの中身をぶちまけはじめた。 綱吉がびっくりして慌ててケチャップだらけの皿を二つよけると、その場所には何十枚もの写真がばらける。 「な、なにこれ」 「見ろ」 見ろって。 ようやく食べ終わった綱吉が紙で口を拭き拭き一枚手にとると、それは……… 「………綺麗だね。山?」 雪をかぶった鮮やかな稜線と青空のコントラストがすばらしいワンショット。 「えーこっちは……川?あ、小川か」 風景写真とも違うようなそれは、一体なんだろうか。 綱吉は首を傾げる。中には何枚も同じ場所を、違う角度から写したものもあり、どうやら外国のものらしいその穏やかな景色と自然は見ていてとても心が和むのだが、いかんせん意味がわからない。脈絡が無い。 「こっちも」 「はいはい」 言われるまま違う封筒をあける。 中には赤レンガ造りの小ぢんまりした家と、庭と、各部屋の写真―――それに家の見取り図だった。 「どうだ」 「へええええ」 他に何を言えというのだろう。 綱吉は困惑しながらも、とりあえず思ったままの感想を述べてみる。 「いいんじゃない?屋根の配色とかもかわいすぎなくて、俺これ好きだよー」 「そう思った」 男はふっと息を吐いてほんの少しだけ笑むと、怪訝な顔をしている綱吉に向かって言った。 「決まりだな」 「え、ナニが?」 「実はもう入金は済んでる。オレも一目見たときから決めていた。いいところだぜ、空気は良いし水は美味いし」 「あぁ………ふうん。良かったね」 「何言ってやがるお前の為に買ったんだろうが」 ………。 「………はあ?」 綱吉の脳は、その一言では事態を理解しなかった。 「俺がなんで出てくるの」 「お前はこれから店をたたんで、そこで暮らす」 「はっ?!」 「好きだって言ったろう」 「いやそれはでもうん、え、」 はああ? 綱吉はパニック寸前だった。 そういう商売の人なのか、俺は今店を騙し取られようとしているのか………などと色々ぐるぐる考えを回す綱吉だったが、男は全然予想だにしないことを言った。 「このオレがわざわざそのためにクソ忙しい合間を縫って、下見に行ったんじゃねえか。金もな。今更………」 「ええっ」 なんで俺怒られてるんだろう、と綱吉は目を白黒させる。 「おい」 「は、はい」 「お前はオレに言った。店を止めて、田舎暮らしがしたいって」 「うん………」 「だからオレが買ったんだよ。お前が言うべき言葉は一つ。『不束者ですが、よろしくお願いいたします』だ」 ほら言ってみろと促され、麻痺したまま繰り返す。 「ふ、不束者ですが………」 「『よろしくお願いいたします』」 「よろしくお願いいたします………え?」 男はその瞬間、カウンターに身を乗り出した。写真を膝で踏んづけながら、おどおどと視線をさまよわせる綱吉の胸倉を掴んで引っ張る。 「よし、任せておけ。それとな」 クイと傾けられた男の顔が迫った。 唇に柔らかいものが触れ、思考停止した綱吉の耳に低い声が響いて落ちる。 「オレの名前はリボーンだ。ま、旦那様でもあなたでもいいけどよ」 2006.8.21 up next |