夫婦・夜の生活

 

 スクアーロは、結婚2年目になる自分の妻を愛している(…と思う)が、時折ツナが分からなくなる。
これは、元々そうだった。出会ったときから分からなかった。
 実のところ、稀少生物を保護するかのような気持ちで結婚した。

 一日の疲れを狭い風呂で癒していると、なんだか背後に気配が立った。
 丁度その時目を瞑っていたので、「どうしたぁ?」と声だけかけて―――放って置いたら。
「失礼しま〜す」
「べぼっ」
 トリートメント剤を流したばかりの自慢の長髪に、頭からネットリした液体がかけられて危うく窒息死せしめるところであった。
「だでぃずんだでべぇぇぇ!!!!」
「あれ」
 他に誰が居るだろう。妻である。
「ごっ…ごぼっ……」
 ようやく口や顔の周りのべとべとを拭い振り返ると、タオルを胸で巻いた妻がとんでもないものを片手にキョトンとしていた。
「な………なにやってんだぁ?」
「えー」
 スクアーロが目をひんむいたのも無理はない。
ツナの手にあったのは飾り気のないサッパリした表示のボトルのローションだった。
 外見からして業務用の。
 つまり風俗店用の。
「うおぉぉい!何じゃこりゃ!」
「3階の奥さんから貰ったー」
「貰ったー、じゃねえよ!」
「なんだっけ………浮気防止?マンネリ回避?昔取ったキネヅカ??」
「お前なあ………」
 がっくりと頭を下げた旦那にツナは不思議そうに首を傾げて見せた。
「あれ………嬉しくないの?」
「ねぇよ。今のどの辺に嬉しい要素があったよ?」
「男はみんなコレが好きだって言うから」
「使い方間違ってんだろ!」
「くわしいな」
 ポツリと零された言葉にああ、とかうう、とか詰まった後。
 スクアーロは風呂場のタイルに正座して言った。
「そりゃお前と会う前の話だぞ………仕事の付き合いとか、接待っつーもんが」
「つまり男はみんなコレが好きなんだね」
「今は行ってねえ!本当だ!」
「3階の奥さんが。しばらく実家に遊びに帰ってたら旦那浮気したって」
「浮気ぃ?」
 だから団地は嫌だ、ウチのコレに余計な知恵吹き込みやがって………被害被るのはオレだぜぇ、とギリギリする。
 旦那が顔を派手に顰めても、ツナはお構いなしだ。
「ソープ行ったって…」
「………」
「だからウチんトコも気を付けないとって言われた」
「それでどうしてコレなんだぁ…」
 折角洗った頭がべとべとになってしまっている。
ツナは気にせず続けた。
「それで、教えて貰ったんだけど。格好はタオル一枚で、ローションと、後は家のボディーソープで出来るって」
「するな」
 頭を抱えながらスクアーロが言うと、ツナは持っていた風呂桶を差し出して見せた。
「ついでにお風呂セットもくれた」
 中には水鉄砲、プラスチック製の小さな水車、ジョウロ、アヒル隊長まで入っている。
お風呂セット、子供用である。
「お前はこっちのが向いてると思うぜぇ………」
「なんでだよ。俺頑張って習ってきたぞ」
「習わんでいい習わんで」
 妻は耳年増ではあるのだが、ちょっと世間とはズレている。淫語や隠語を聞きかじってはそのまま中途半端な推測で物事を推し進めようとする癖がある。どうせとんでもない事になるに違いない―――スクアーロは過去を思いだしていた。



(回想開始)

 ある日、仕事から帰ってくると、食卓にわかめの酢の物が乗っていた。
 妻はいつも通りだった。
 スクアーロもいつも通りだった。
 いただきますと挨拶し、箸をつけ、口に入れた途端世界が反転した。
「ぐっ………ぐええぇっ………」
 わかめの生臭さと日本酒のキツさが相まって、目も眩むほどに不味い。
 口元を抑えて流しに走った旦那を見て、ツナは
「ああやっぱり」
と言った。
「なっ、何がやっぱりだオェェっ」
「あのさぁ………わかめ酒って何がエロいの?」

 い、意味が違う………

 あの時も大変だった。
 わかめ酒の意味を説明するのも今更馬鹿らしいし、そもそもわかめに酒をぶちこんだらどんな味になるかぐらい予想が付くだろうと。
「お前は!料理を作ったら味見しろ味見!オレを殺す気かぁぁ!!?」
「だから………それはマズそうだから味見しなかった」
「それをオレに食わせるんじゃねぇぇぇ!」

(回想終了)



「勘弁してくれマジで」
「今度は大丈夫。ええと………このローションで相手と自分をまんべんなく濡らし………」
「ここでカンペを読むんじゃねえっ!」
 スクアーロがむしり取ると、メモ用紙は水に濡れて読めなくなってしまった。
「あ………あ、でもいい覚えてるから」
「なにっ」
「挟んだり、擦ったりすればいいんだよね」
「あのな………その、」
 ツナの頭の天辺から爪先まで見渡したスクアーロはとても微妙な表情をしていた。
「どこで挟むつもりだぁ………?」

………
………
………

「あ」
「な?」
 無理だ。挟めない。
 自分のぺったんこの胸を見て初めて計算違いに気付いたらしい妻の肩に手を置き、旦那はガックリと頭を凭れさせた。
「お前は………お前…」
 ハアア、と深いため息を吐く旦那のつむじ(ローションでべとべと)に視線を据えたままツナはぼんやり「そーかこればいーんじゃないと出来ないんだ」と大変今更な感想を述べていた。
「やっぱ駄目か」
「いや………オレはお前が浮気なんて気にしてる時点で大した進歩だと思うぜぇ」
「そう?」
「そう」
 嬉しい嬉しいと言ってやれば、妻の機嫌は上向いた。
 むすっとしていた顔が、心持ち綻んだように見える。
「でもどうしよう。明日首尾を報告する事になってんの」
「なんだとぉ!」
「でも疲れたし、意味分かんないし、メンドーくさくなった」

 しょうがねえなぁ…

 頭のローションを流しつつ、スクアーロは手っ取り早い解決方法を採った。
「いいか、コレはな、直接つけると冷てぇだろうが」
「うん」
「まず手のひらで体温に馴染ませてから塗る」
「ウッヒャッヒャ」
「………」

 3階の奥さんには失敗したので旦那にして貰いましたとか、余計な事を言う必要はない。


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