夫婦の秘密

 

 腕の傷も治ってきたというのに、スクアーロの心は晴れやかではない。
 使えないので(…)事務所で電話とメール番ばかりしている体の方は余っている。しかしその分、問題の同僚と顔を合わせる時間が増えたのだ。
「ねぇ〜〜〜」
「駄目だ」
 ベルのとんでもない申し出は、耳にするだけで確実に胃の粘膜を破壊し、穴を開ける。
 常識的に考えてそんなものOKする訳がないというのに。
 その常識を持っていない人間は、これだから困る。
「今日の夕メシ何〜?」
「お前の知ったこっちゃねえだろぉがぁぁ!」
 仕事が終わってもまだまだまだまだ着いてくる同僚を道ばたで怒鳴り散らす。
 細身でうわついた格好(スクアーロ談)をしたベルは、スーツ姿のスクアーロに比べると遙かに幼く見える、実年齢にも差があるのだ。
 おかげでスクアーロが酷い人のように見られ、じろじろと通行人から痛い視線を貰っていた。
「もっ、ついてくんな!てめえの家はあっちだろぉぉ!?なんなんだよ!」
「バッカだなぁ、そんなの、下心があるからに決まってんじゃん」
「正直に言えばイイと思ったら大間違いだぜぇ…」
 地の底から響いてくるような低音で脅すが、ベルは平気の平左だ。
 何かと言えば「オレ王子だもん」で済まそうとするこの正真正銘の王族は、もう放っておくしか手だてが無い会社の問題児である………と言っても、全員が問題児みたいなものだからして、社長からして超問題児であるからして、余り皆は気にしていないようだ。
 しかし主に被害を被るスクアーロとしては、なんでこんな奴が野放しにされてるんだろうと思うところ。
「まっ、いっかぁ。家知ってるし〜♪」
「オイコラ待てェ!!!!」





「おかえりー………い、ぃ?」
「ただいまー。今日の夕メシ何?」
「………サンマ?」
 玄関を開けた途端旦那の如く返事をしたのは、旦那………の同僚である。
 旦那はゼイゼイハアハア疲れたような顔をして後に控えている。
「あのなあ!」
「え?」
「お前じゃねぇよ。このバカに言ったんだぁ!」
「バカじゃねーもーん」
 ツナは一瞬困惑を表情に乗せたが、すぐにどうでもよくなり、スリッパをパタパタ言わせながら台所に戻っていった。
「いいね〜人妻の後ろ姿。ぐっと来るねー」
「旦那のオレの前でそういう発言は止めろぉぉ!」
「食っちゃいたいなー」
「だからよぉ!」
 この間のドタバタ以来、すっかり会社の面々に妻を目撃されたスクアーロは地味に大変だったのだ。
まずあの後―――目を覚ました時頭は、ツナの膝の上だった。ここまではいい。
 あ、気付いた?と心配そうな顔をしているツナの膝がやけに高く、心地良いどころか苦しい、昔の枕みたいになってるぜぇと目を剥いたスクアーロはグウと悲鳴を飲み込んだ。
 妻の頭の上にもう一つ頭があり、よりによってそれは自分の上司だったのだ。
 スクアーロの頭を乗せているツナを更にザンザスが膝に乗せているという、異様な状況。
 なんと帰るときまでそのままで、誰も問題児ボスを止めることもなく、スクアーロ一人が釈然としないまま………
 ツナはもう言うまでもない。そういう些末が気になるような、通常の神経をしていないのである。「したい」と言われればじゃあ良いよぅと言ってしまうようなお人好しだ。

 しかしその「したい」が膝抱っこならともかく食っちゃいたいとか言われると流石のスクアーロも黙っては居られない。
 これなのである。
 ベルは事あるごと繰り返し、妻に対しあからさまな情欲を催している発言を繰り返すので、スクアーロはすっかり苛ついていた。
 ツナに言われてしゃりしゃりと大根おろしをすりながら、椅子に座ってデレデレと妻の後ろ姿を凝視する同僚に心穏やかではない。
 仁王のような形相をしている。
「でさー、そいつってば」
「へえほんとー?」
 しかもベルは俗に言う世渡り上手の要領良しで、すっかり打ち解けた様子である。
 新たに人妻にも開眼した!とスクアーロに宣言しちゃっては、ツナにちょっかいばかりかけているのである。気にならない方がおかしい。
「いただきまーす」
 挙げ句人ん家の夕メシまで食いやがって………!
 サンマの骨をツナに取って貰いながら談笑するベルに、スクアーロはジリジリギリギリしていた。
そしてついに、その堪忍袋の緒が切れた。

 夕食後、居間で茶を飲みながらまったりしている時である。(スクアーロ除く)
「なあなあ」
 唐突にベルが口を開いた。
「オレ今度テキトーに良さソーな女連れてくっからさぁ、スワッピン」
「うおぉぉい!!!」
 とんでもない単語が夫婦のお茶の間に流れそうになったため、スクアーロはがばりと起きて同僚の口を塞いだ。
「すわっぴ?」
「ななななんでもねえぞぉぉ!」
 きょとんとしている妻からずざざざざと距離を置き、スクアーロはベルに歯を剥いて見せる。
「ふざけんじゃねえつまんねー冗談言うなよてめえ殺す」
「うっは、ヤダな、本気だってオレ」
「なお悪いわぁぁ!マジで殺すっ…」
「だってオレもー我慢できねーもん」
 だから。
 だから嫌だった………マーモンも忠告していたのに………クソ、オレがあんときこのバカを相手にしなけりゃ………!
 ぐるぐると頭で後悔を回しているスクアーロをヨイショと除けると、ベルは「へへっ」と笑いながらずりずりツナへにじり寄っていく。
 スクアーロがはっと顔を上げると、例の3階の奥さんから貰ったとかいう大福を大口あけて頬張っている妻の腰に同僚が腕を回してうはうはしている最中だった。
「………………………………………分かった」
「え?」
「分かった」
 完全に据わった目をしたスクアーロに、流石のベルも手を離して身構えた。
 殺気―――というのとは違うが、明らかに普段のマヌケな同僚とは一線を画した気配に何かを感じ取ったのだろう。
 しかしそんなベルの思っていた事とは180度違う事を、スクアーロは言ったのだった。
「おい」
「ん?」
「ちょっとこい」
 チョイチョイと旦那に手招きされるまま、ツナはよつんばいで這ってきてちょこんと座る。
「ここ」
「うん」
 ぱしんと自分の膝を叩く旦那に、大した迷いもなくぽすんと乗っかる。
 手乗り文鳥のようである。
 準備が整うとスクアーロはぽかんとしている同僚に言った。
「本番ナシ。キスもありえねぇ。ただ、触るだけ」
「マジ?」
「やってみろ」
「へぇ………」
 ニヤリ、と笑うと、ベルは躊躇い無く手を出した。
「余程躾に自信あるみてーだけど、オレ巧いよ?こっちも―――感度良さそうだし」
「ケッ」
「奥さんから乗っかってきたらノーカンだからな」
 ベルはうきうきと手を―――初っぱなからツナの膝に置き、内股にスススと滑らせた。

「うぐぶっ」

 ………なんか変な声聞こえた。
 ベルの手は一瞬止まるが、直ぐに行動を再開する。 今度はもっときわどい、ギリギリの所まで指を
―――

「うひゃひゃ!」
「………」
「でひゃっ………えひゃひゃひゃひゃあ!わあ!」
「ちょっと………」
 ベルがむっとした顔をしても全然まったく意に介さず、ツナはエヒャエヒャと笑い転げた。
「ヒャーハッハヒヒヒヒヒ、ぶふえっ………アヒャヒャヒャヒャー!」
「なにこれ」
「な?」
 スクアーロは勝ち誇ったような―――それでいて微妙に切ない顔をしている。
「ホレ」
「ヒャアアア!ウヘエエエエエ!」
 旦那が触ってもツナの奇声は止むことがなかった。 どうやら分け隔て無いようだ。
 すると、躾というのでは無い。
「感度なぁ………イイぜぇ?確かに」
ただし意味が違うがなぁ、と腕組みをしてウンウンスクアーロが言っている間に、ウヒャウヒャ笑うツナに対しベルはすっかり気分を削がれたようだ。
当然だろう。触れば触るほど笑うだけなのだから。
「もしかしてお前でもこうなの?」
「そうだぜぇ」
「それって………」
「………まあな」

 スクアーロの目は新婚初夜を思って遠くをみる眼差しになった。
 ツナの父親がえんらく娘を溺愛していて、恐ろしい程影の入った顔で「お前………勿論分かってるとは思うけどウチのツナはなぁ」とボソボソ耳元で囁いてくださったので、二人は婚前交渉という物を持たずにいた。そのまんま嫁いできたわけである。
 籍を入れ、新居を整え、サテじゃあ参りますかというその時に。
 奥さんがウヒャウヒャ笑い出した時の、旦那の心境を想像して貰いたい。

 悲惨である。
 なんとも、切ない。

「まず萎えるぜぇ」
「萎えた、確かに」
 ベルは自分の股間を確認した。
 スクアーロは注意深く膝の上の妻の耳を塞いでから続けた。
「股間押っ立ててる時に、ゲラゲラ笑われてみろぉ………泣くぜ。男だからなぁ」
「オレも今ちょっと泣きたい…」
 珍しくベルも愁傷な顔である。
 ツナの態度はそこまで男のプライドを傷つける、天然爆心地だった。しょうがない。
 そういう体質なのだから。
「………出来んの?」
「そりゃ、夫婦だからなぁ」
「お前………凄いなー。オレ初めて思ったかも。スクアーロ、偉い」
「嬉しくねーぞぉ………」





 一安心、と思っていたその数日後。
 会社で顔を合わせた同僚がやけに上機嫌にうきうきやってきて、こうのたまったのでスクアーロは目を剥いた。
「オレ考えたんだけどー。そういうプレイだと思えばイケるんじゃね?」
「………行くな。行くんじゃねぇそこまで行かんでいい」


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