病院

 

 普段あまり外出をしない妻(立派に引きこもりだ)が外に出る用事は限られている。
 日常の買い物、クリーニング店、ホームセンターやに本屋。
 運動はキライでなまけもの、日光にもろくにあたらない。元々丈夫なたちでもなく、気が付くと寒い季節、妻は立派に風邪をひいていた。
「うう…」
 熱が38度を越えた時点で市販の薬に頼るのを諦め、スクアーロはぐったりしたツナを抱え着替えさせた。やせっぽっちの、棒切れのような足からパジャマを抜いてよそいきを着せてやる。下着も替えさせた。
 チョイチョイ、と髪を引っ張られて「あぁ?」と振り向くと、ツナは赤い顔でふうふうと苦しそうに言った。
「のどがいたい…」
「ああ。今病院に…」
「病院?!」
 ツナの顔が途端に歪み、「もう治った!」と無茶なことを言い出した。
 もちろん病院を嫌がる故のウソだと分かっている。スクアーロは無言で妻の着替えを終わらせた。
「大丈夫だから、病院は止めよう」
「大丈夫じゃねえだろーが」
 触れている部分はいつもより明らかに熱い。
 体温計の温度も昨日からあがりっぱなしである。体力の無いツナはすぐにダウンしてしまう。
「ガキみてーに騒ぐな。イイ大人だろぉ?」
「嫌だ〜〜〜」
「………」
 問答無用に家から連れ出し、車に放り込む。
 上着をかけ、シートベルトでしっかり縛り付けて睨み付けると、渋々ツナは暴れるのを止めた。自分でも具合の悪さは自覚している。
「わかったよ…」
 大人しく引き下がったのは体調が辛いせいもあるのだろう。
 いつも暢気な妻がぼんやりした顔つきをし、ふうふう苦しそうな息をするのをスクアーロは眉を顰めて見ていた。あまり良い傾向ではない。


 病院は思ったより混んでいた………季節柄、風邪の流行期なのだろう。親に連れられた子供―――下は赤ん坊から上は中学生まで、皆辛抱強く待合室の椅子に座っている。
 ツナは旦那に支えられてフラフラと歩いていたが、そのまま一つだけ開いている椅子に腰をおろした。相当具合が悪いようだ。
「どうなさいました?」
「多分風邪で………」
「お熱測ってみてください」
 子供に対するような口調。スタッフは慣れているのだろう。
 スクアーロはぐったりしたツナを抱え改めて椅子に腰をおろし、体温計を脇に挟ませる。
 同じようにして熱を測っている『子供』は他にいるが、大人はいない。当たり前だが………しかしツナはぼんやりしているし、小柄なせいか特に見咎められる事も無く、スクアーロは熱いかたまりを上着ごと抱えなおし、しっかと胸に抱きこんだ。
 ピピピピピ、と計測を知らせる音が鳴る。
 見ると、熱は先ほどより上がっていた。ふうふうますます苦しそうだ。
「此方へどうぞ―――」
 見かねたスタッフが中へ案内してくれる。重病人や高熱を出している患者にはベッドを使わせてくれるらしい。
 よっこらしょ、と些か年寄りくさい掛け声をかけてツナを抱えたスクアーロは、診察室を過ぎ奥のベッドへ妻を寝かせた。
「発熱は何時から?」
「あー……」
 実はスクアーロ、仕事が長引いて帰ってきたのは昨夜遅くである。
 それまでも仕事が詰まっていたから、ツナの「なんか具合悪い」を聞いたのは出掛けの忙しい時間だった。気になってメールばかりしていたが、あまり様子を見てやれなかった。
「オイ」
「んぁ…?」
「熱………」
「………」
 ツナはすうっと目を閉じてしまった。
 赤い顔が青ざめて、如何にも具合が悪そうだ。結局「少し前から」と曖昧にごまかし、上から毛布をかけてやっていると………聞き覚えのある足音がした。
「ぁんだなんだ!何?風邪?」
「熱出てんだよ!とっとと診やがれぇ!」
「うるせー!」
 奥の診察室から出てきたのはスクアーロも馴染みの医者である。
 名をシャマルと言い、旦那同様イタリア人だ。裏家業を持つところも一緒だが、表向きは普通の開業医だった。専門は産婦人科だがなんでもやる。内科も見る。ツナも良く世話になっている。
「あぁ〜?お前のカミさんか〜」
「なんか文句あるかぁ」
「べっつにィ〜」
 このシャマル、産婦人科医師のイタリア人という組み合わせイメージ通り度を越した女好きである。
 患者も付き添いも果ては近所の奥さんまで女と見ればアタックする。しかし………
「悪ィけどよー、あんま萌えねーんだよな」
「幸いだ」
 ツナはどうも守備範囲外のようで、これはシャマル本人も首を傾げるビックリな事実だった。尤もスクアーロにしてみれば稀に見る幸運で、このクソッタレのドエロオヤジに妻を狙われる心配が無いだけで感謝を捧げたくなる。その辺の何かに。
「はいちょっくらごめんね〜」
「うぅ…」
 カーテンが引かれる。
 毛布が捲られた。
「………」
「診察できねぇよ」
 反射というか、無意識というか。
 シャマルがツナの胸元に手をかけた時咄嗟に、スクアーロはその手をめがけて手刀を打ち下ろしていた。
「あ、ああ。悪ィ」
「っつーかキョーミもないんだけど〜」
「あんだとぉ!」
「ほい口開けて〜」
 シャマルは医者らしくツナの喉の様子を見、聴診器を使ってはだけた胸にあてた。
「息吸って〜。吐いてー」
「〜〜〜!」
 幾ら興味無いだの萌えないだの言われても、年中発情しまくった下半身放埓医師に妻の肌を触らせるのは耐えがたい苦痛をもたらした。
 影の濃い、スクアーロの顔つきはものすごいことになっている。
「苦しいかー?」
「いや…」
「うぉらっ!」
 ツナのか細い声を聞いた途端、スクアーロは唸り声を上げてシャマルにタックルをかました。
「何しやがる!」
「嫌がってんだろぉ!てめえ、何いやらしく触ってんだ!」
「誤解だ完全に!っつーか…」
 ツナは嫌、と言ったのではなく。聞かれて苦しくない、と言っただけである。
 スクアーロは苦々しい表情で側の椅子に腰をおろしたが、いつでも不届き者を成敗できるようにやはり手刀を構えていた。
「…続き、イイ?」
 シャマルは憮然とした表情で診察を続けた。
 傍目にもぺったんことしたツナの胸に手をあて、ふウむと一息ついてから聴診器を外す。
「熱ちょっと高ぇが、風邪だろう。喉が腫れて辛い…ぐらいか?咳出るか?」
「うん…」
「一応採血してレントゲンと…咳止めと栄養剤な。点滴」
「注射……?」
「の長いやつ」
 引きつった顔をするツナにニヤリと笑って見せ、シャマルは次の患者の診察に戻っていった。
 スクアーロはホッとした顔つきで………今度は注射針の用意をしているスタッフを睨みつけかけたが、
「大丈夫ですよ」
「…よろしく」
 彼女は色々な意味で心配なさそうである。



 怖がるツナを宥めてやっと採血を済ませ、点滴をしている間。
 次々患者が診察室から吐き出されてくる。老人や子供―――患者の年齢層は様々だが、たった一つ分かりやすいのは。
「…アイツマジで女っきゃ診てねーな」
 男はほんの数分、悪くすると1分もかからず診察室から吐き出され、女性―――特に美人だったり可愛かったりするとこれがとんと出てこない。問題になりそうだ。
「大丈夫かぁ?」
「うん」
 他にも風邪なのか、熱の症状を訴える患者は多く、その大半が子供である。
 注射や検査をしていく子供たちは真っ赤な顔をしつつ、それでも元気で、親の手を焼かせている。
 ツナはその子供に混じって旦那に付き添われ、大人しくしていた。注射の長いやつをされたのがショックだったのだろうか。ショボンとしている。
「…辛いか?」
「大丈夫」
「………悪かったな」
「何が?」

 スクアーロはこのところの自分を振り返り、反省しきりだ。
 仕事にかまけてツナの様子に気を配ってやれなかった。
 もっと軽い症状の時につれてきていれば、点滴をさせることもなかったかもしれない。ツナは風邪のせいで物を食べられず、衰弱してぐったりしている。

「粥か?何か食いたいモンあるか」
「えーっとね…」
 その時ばかりはくるりと目をまわして思案する妻を、労わってやるべくスクアーロは丁寧に希望を聞いていた。


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