洞
未だ肌寒さを感じる事もあるこの時期に、海上ではこんなに日差しが強いのか。
手で影を作り上を見るが、光が強すぎて目が痛んだ。
風はどんどんぬるくなっている。
小型のフェリーは白い波を掻き分けて進んでいく。見事な凪で、驚くほど揺れない。
記憶の中の海はもっと荒々しく乱暴で恐ろしい存在だった。とうに二十歳を過ぎた綱吉だが、引っ越してから海水浴もボート遊びもした事がない。
海は怖い。
生まれ育ったのは小さな島だった。
土地の少ないあの場所では、遊び場と言えば海。
猫のひたいほどの小さな砂浜や、漁船のひしめく港で、コソコソと大人に怒られるような事ばかりしていた。
あの子供達はどうなったんだろう。
遠くに島の形が見えた時、綱吉は腕の中の荷物をしっかりと抱え直した。
沢田の本家の墓に入る筈だった母の遺骨は、故郷の島に葬られる事となった。これも面倒な話であり、思い出すと未だに不快な気持ちになる。顔が歪む。
生前母は何も言わなかった。だからその希望や意思を汲み取る術を自分は持たず、相談した沢田家の方もただ自分に任せるとだけ言った。父は――
(あの、クソ親父)
あれだけ好き勝手に出歩いて、家を開けっ放しだったくせに。
母が死んでからの父はまるで抜け殻のようで、物事を決める役にはたたない。
仕事はしていても、それだけだ。自分の話も聞いていないのだろう。
そんな相手に怒りの矛先を向ける訳にもいかず。
綱吉は島の住人からのやや一方的な知らせを聞き、戸惑いながらも戻ってきた――母の遺骨を抱いて。
(大体おかしいじゃないか)
母方の親戚は全員絶えている筈なのだ。
今の島に繋がりのある人物はいないと、そう知らされていた。縁は切れたとばかり思っていたから、綱吉とて驚いた。
しかし電話口で島の代表であると告げた、重々しい男の声は耳の奥に残っている。
母は島で生まれたのだから、島に還るべきだと。
船が港に着くと、思いの外大勢の人間が集まっていた。
そういえば――大きくない島なのに、フェリーの甲板はそこそこ埋まっていた。大人は親しげに握手を交わし、はしゃぐ子供達の声がする。
帰郷の時期でもないのに。
やけに大勢だな、と。
その光景を横目に見ながら降りた綱吉は、予想外の人物に声をかけられた。
「よう、久しぶり」
「…?」
肩に手を置かれてびくりと飛び上がる。
振り返ると背の高い青年が、陽に焼けて屈託のない笑顔を見せていた。
「え、と」
「お前、ツナだろ?」
それは幼い頃の愛称だった。家族と友人以外は知らない筈の。
なんだ忘れちまったのか、と青年は些か残念そうに言いはしたものの、まるで明るい。
すぐに笑顔に戻って呆然としている綱吉の頭をクシャクシャと撫でる。
「ガキの頃散々一緒に遊んだじゃん。山本、山本武」
「山本っ…?!」
慌てた勢いで荷物を落としかけた。
綱吉は再度力を込めて鞄を抱え直し、まじまじと相手の顔を見る。
(言われてみれば面影は…)
いや、分からない。
綱吉の記憶の中のヤマモトタケシは活発で要領の良い悪戯坊主であり、陽に焼けた長身の青年ではない。
色褪せたTシャツにカーゴパンツというラフな服装にも関わらず、山本は綱吉が知る同年代の誰よりも格好良かった。
すっきりと整って男らしい顔も長い手足も、十分に人目を奪う。
出歩かないインドア派故の生白さ、貧弱さの目立つ自分とは大違いだ。
「本当に…山本?」
「なんで疑うの?」
「あ、ゴメン。疑ってる訳じゃないんだけど」
驚いた。
綱吉が島を離れたのは、三、四歳の頃である。
それから二十年経っているから……そりゃ悪戯坊主も男前になるか。
「よく俺だって分かったな」
「すぐ分かった。ツナ全然変わってねーもん」
山本は綱吉が来る事を知って、迎えに来てくれたらしい。
島の役場まで車を出してくれるというので、ありがたく甘える事にした。
「散らかってんだろ。適当に荷物とか置いていいからなー」
「ん、ありがとう」
勿論、この鞄を離す訳にはいかない。
それでも礼だけは言って、助手席に滑り込む。
「よっしゃ、行くか」
軽トラの荷台は漁の道具が積まれていた。
山本の家は何をやっていたのだっけ。
(透明な水槽とカウンターがあった……食べ物屋さん? ダメだ、ちゃんと思い出せない)
「山本は今何やってんの?」
「んー、漁師」
「すげえ」
綱吉は母が亡くなって以来、休暇を取り続けている。
たった半年勤めただけだから、戻っても席は無いかもしれない。そんなフラついた状態に比べれば、自分の腕一本で食っているのはすごいじゃないかと――そう思ったのだ。
しかし山本は何がすげえんだと言って笑い飛ばす。
「最初は親父の店で出す魚取ってるだけでさ。島の魚じゃ商売にならないんだよ」
「そうなの?」
「今はちっと、遠くまでいけるかな」
身長があるので細身に見えたが、ハンドルを握る腕は筋張って固そうだ。
大人びた口調も年月の経過を感じさせる。
昔遊んだ友人に会えた嬉しさも多分、ある。
しかしそれより強烈なのは、その変わりようだった。まるで別人。いや。
比較するほどよく覚えていないのが正直な所。
良く互いの家を行き来した。遊んだ覚えはある。だがそれは強い島の日差しに炙られて抜け落ち、記憶は断片でしかない。
随分と長い間島を離れていた故か。
それとも――自分が薄情なのか。
2010.4.10 up
next
文章top
|