洞
ほんの数日居るつもりでいたので、荷物は最小限だった。財布に携帯、着替えを数枚くらい。
大きな鞄を持ってきたのは、母を連れてくる為だ。
骨壺は白布にくるまれ、白木の箱に入れられている。
更にその上から豪奢な袋で包んであるので、畳敷きの簡素な部屋には場違いである。
この島の葬儀はどういうものなのだろう。
最初電話を取った時、綱吉は島の墓に入れるための分骨を指しているのだと思った。
しかし相手は否とした。そういうものではないと言う。
また其処には承知していない綱吉や、知らせていなかった母を責めるような響きがあった。何故そんな事を言わねばならんのかという様子だったのだ。
(そんなもの、知るわけないだろうに)
戸惑った。
はい分かりましたと告げてから、受話器を置いてから、綱吉は初めてそれがどんなに異常な事であるかに気付いたのだ。だから――
コンコンとノックの音がした。
「入っていいか?」
「どうぞ」
扉一枚隔てた廊下には、島の人間が居る。
分かっているのに、開いた扉の奥に立つ人物を見ると自然に笑みが浮かぶ。愛想笑い? いや。
「狭くてごめんな。此処が一番物が少ない部屋だったんだ」
「十分広いと思うけど……ともかく、助かったよ。ありがとう」
山本の家は島に数軒ある飲食店のうちで、一番評判の良い寿司屋――だったらしい。
此処に至って、あの大きな水槽以外まったくイメージが浮かんでいないので、幼い自分は余程ぼんやり日々を過ごしていたのだろう。
(今と変わらないな…)
しかし家には誰も居なかった。
店は開いていないようで、カウンターにはうっすらと埃が積もっていた。
昔魚がたくさん居た水槽は空で、ポンプや砂が入れられたままだった。
「みんな、今居ないのかな? 挨拶とか。その、一応」
「今はオレ一人な。親父が肝臓やっちまって、今本土の病院にいるから」
「じゃあ……お母さんもそっちへ?」
「いや。オレがガキの時に死んじまってる」
その言い方があまりにからりとしていたので、一瞬理解するのが遅れた。
ぽかんと口を開けて仰ぎ見た綱吉に、山本は笑って見せた。
「あんまり覚えてないけどな。だからちょっと分かるっていうか、家ん中グチャグチャになるだろ。親父がガタガタんなって、店も回らなくなるしさ。ツナん家は?」
「ああ…うちもそうかな。父さん何もしないし」
「出来ないんだよ」
山本は笑っている。
それは穏やかな笑顔だった。全部分かっているような、大人の表情だ。
「親父はさ、元通りになるまで二年くらいかかったぜ。オレもガキながら色々やったわ…だからまあ、一人になっても困らないけどなー」
父は元々家に居る事が少ない人だった。
母が亡くなってから、綱吉は逆に――急かされるような気持ちで家を整えた。
それまで手伝いには余り熱心ではなかったのに、掃除をし、洗濯をして、むしろ母が生きていた時よりもずっと外食は減った。
今更何をしているのだろうと時々思ったが、作業をしていると気が紛れる事は確かだ。
「大変だったね」
やってみると家事は意外に難しい。幼い子供には、余計に苦労だった筈だ。
自分が知らない間にそんな事があったのか。
(俺には絶対出来ないだろう。小さい頃なんて、まるで弱虫だったんだから)
純粋に感心する気持ちと合わせて――少しばかり相手を遠く感じた。
山本は自身が辛い経験をしてなお、人を気遣う事が出来るのだ。
それに比べて自分はどうだろう。
目先の事しか見えていない。辛い辛いと己の事ばかり考えていた。
これでは駄目だ。
綱吉は意を決して立ち上がった。視線が近くなる。
とは言え身長差があるので、どうしても見上げる形ではあるのだが。
「ごめん、ぼんやりしてて。何か手伝う事あるかな?」
「んー…、ない」
あ、そうなの。
勢い込んだ割に、なんとも締まらない。
何とも言えぬ顔つきをした綱吉の手を取って、山本は歩き出した。
「そういや、メシ出来たって呼びに来たんだった。居間で食うか、テレビあるから」
「はい…」
2010.4.23 up
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