12月24日の災難

 

普段ならば絶対にそんな危険な事はしない。血迷っていたとしか言いようがない。
薄暗い階段の踊り場を脱し、更に上へ。入り組んだ通路と部屋のドアを交互に見、適当に歩き出す。一番始末の悪い迷い方だが本人に自覚はない。
 3度目の曲がり角を曲がった時、人の気配がした。
 もうこの際誰でも良かった。人でさえあれば………ツナはたったと足音を響かせて走り出し、その気配を追ったのである。心細さは頂点に達していたしそろそろ足が草臥れていたからだ。
 通路の先はまた階段だった………それも、今度は下へ降りる階段。メインのものではないのだろう、狭く暗い、非常階段っぽい。その手すり越しに見かけた人影は、素早く階段を、リズミカルに下がっていた。風に乗って長い髪がキラキラと光を反射する―――良かった、女の人…
「待って!」
「あ?」
 ………ではなかった。
 ツナが声をかけ、振り向いたのは女ではなくまだ若い男だった。若いと言っても二十代ぐらいの長身で痩せた男である。
 なんだ………男か………
 ツナは若干の失望を憶えた。男は女でもいないような常識外れの長髪で、色が黒ければまるで平安のお姫様である。もっとも顔の方はお姫様とは程遠く、ギョロリと向いた目がビクつく程に暴力的だ。
「あんだテメェはァ?」
「へっ…あの」
 男は階段中段程で呆気に取られたように立ち止まっている。
 ツナも呆気という点ではイイ勝負だが、まあ常にぽかんとしているような顔なので本人にも慣れがある。
 しかし男の方はその格好―――全身黒ずくめのロングコート姿―――と迫力ある容姿と相まってかなり間抜けな表情に見える。ツナは緊張を崩した。
「すみません、ちょっとお訪ねしたいんですが」
「動くんじゃねぇぇ!」
「………」
 今度こそツナは目をぱちくりさせた。
 さっきまで男が立っていた位置にその姿は無く、今は背後で怒鳴り声がした。えっ?
 振り向くと長髪男が、やっぱり目をぎょろりとさせてツナを睨み付けている。
「ええっ?!」
「答えろぉ!」
「どんな超魔術?!?さっきまであっち居たよね??すごくない!」
「んなワケねえだろぉぉ!跳んだだけだ、っつかお前だれ」
「跳んだの?あの距離を?一瞬で!すげえええええ!!」
「話聞けよ!」
 長髪男はなんだか怒っているが、ツナはしっかりと自分の目的を果たした。
「でも良かった、家の人ですよね、俺迷っちゃって」
「おい」
「歩いても歩いても分かんなくなるばっかりなんだもん床とか同じような模様してるし…これぐらい広ければ案内板とか必要じゃないですか?住んでて大変でしょう」
「別に…」
 っつかオレの家じゃねえし………ぶつぶつ………
 ツナの会話のペースに巻き込まれるなど相当のうっかり者だが、男はとりあえず体の緊張を解いた。
「てめえ何者だぁぁ?」
「アッごめんなさい、俺…僕………ベル………ベルベ………アレ?」
「あ?」
「ベルなんとか君に呼ばれて来た、並中の2年生です」
「んだとう?」
 ツナは愚かにも、ベルの本名を忘れていた。失礼である。
 しかし男はベルの名に心当たりがあるのか、しかもそれは良くないやつなのか、体を斜めに傾いで妙な顔つきをした。
「ああ………そういや退屈しのぎに学校通い始めたって言ってたが………お前、」
「ベルほにゃらら君とはクラスメイト、です!」
 語気ははきはきしているが、やっぱり名は忘れている。
 失礼である。



「沢田綱吉です」
 長髪の男は名乗らなかったのでツナの紹介は宙に浮く形となった。
 階段を下りながら無口で、ピリピリした空気を纏った男と並ぶ。彼は「あぁ?」と億劫気な返事をした。
「綱吉です。名前」
「んなこたー分かったぜぇ…」
「聞いてないのかと思って」
「聞いてるよ」
「返事無いから」
「………」
 どうもこの男、最初こそ怖そうな印象があるものの、ツナのようなタイプでさえ押せてしまう何か不思議なものがある。
 割と遠慮無く、年上の男にそんな口を利く自分に驚きつつ、ツナは言葉を続けた。
「綱吉で」
「わーったよツナヨシ!これでいいんだろうがぁ!」
「あの、長かったらツナでもいいですよ」
「………ツナ」
 口の中でツナツナ繰り返している長髪男の眺めはなかなか面白いものがある。
「で、その、小僧」
「ツナ」
「ツナ。お前、一体何のようでベルなんか訪ねてきやがったぁぁ?」
「呼ばれたんです強引に。あなたはベルのお兄さんですか?」


 その瞬間、男はもの凄い顔をした。


「やめろおぞましいぃ!」
「あっ、そうか」
「バカかお前オレは」
「お父さんですね」
「違うわぁぁぁ!!」
 男は猛烈な勢いで否定し、ツナがあーそうなんですかーと納得した後も憎悪の表情を崩さなかった。
「オレとアイツは単に仕事の同僚ってだけだ。気色悪い事抜かすと三枚に下ろすぜぇ」
 裏の世界の脅し文句は、ツナには通じなかった。
 単にへえ、この人板前さんなんだ、と思っただけだ。
「板さん」
「誰だ?!」
「それでベル、何処にいるんだろう。昼ぐらいに来いって言われて………うわあ!もう一時半だ!」
「うるせ…」
「かれこれ一時間は迷ってた!」
「………」
 どーりで足が痛むはずだと口をとがらせ膝をさする。そんなツナを長髪男は呆れたように見下ろし、その視線は徐々に哀れみを含んだ。
 こいつは見た目通りのバカでノロマの一般人だ………ベルがまた退屈しのぎのオモチャを見つけ、悪戯に壊して遊ぼうというのだろう。

 男はベル………某国王子と仕事上の付き合いがあった。同僚である。
 同じボスの下に付き、それぞれが部隊を持っていた。
 ちなみに仕事は暗殺。
 二月程前、ベルはこの国の仕事の前哨に派遣された。身元がしっかりしていてハクがある彼がこういう役割を務めるのは便宜上ピタリだが、本人の性格がなにぶん気紛れなもので期待はしていなかった。
 しかし蓋を開けてみれば、つまり数日前訪れてみれば―――彼は立派に役目を果たしていた。半分、は。
 なんせ果たしすぎて学校に通っていたくらいだ。そして仕事の方はさっぱり済ませていなかった。『忘れてた。だって面白いもん見つけたからー』………そんな我が侭放題の言葉が受け入れられてしまうのがこの組織の驚く所で、しかも、そのツケは全て此方に回ってきた。
 驚きだ。
 なんでオレがぁぁ!!とムキになって抗議すればするほど男は虐げられ、ベルのサボっていた二月分の仕事をする羽目になっていた………ベルの方はその学校とやら、探索やら、バスに乗るやらに夢中になって遊んでいるのに、ただヤサ(この屋敷)と部下(執事、メイド、その他諸々の使用人)を提供しているというだけでおとがめナシ。
 方や自分は、『早く済ませやがれ能なし』と罵倒されてこき使われている。

 不公平だ………
 っつか不幸だ………

 何だか状況をとらえているだけで泣きたくなってしまうが、男が涙を見せるのは親を亡くしたときと財布を無くしたときだけである。
 隣でバカ面を晒しエヘエヘ笑っているガキを一瞥して、男は決意した。

 このバカを、今までのオモチャと同じ目には遭わせてやるまい。

 それはおおよそ人道的な立場からの高尚な動機とは程遠いものだった。
 何も知らずに切り刻まれ弄ばれるのを哀れんだのではなく、ただ『あのアホキモ王子に嫌がらせしてやるぜぇ』、これに尽きる。
 男はまだなんだかぺらくちゃ喋っているツナの口をムギュウと塞ぐと、ドスの利いた声で言った。
「静かにしやがれ」
「んっ………ぐ」
「てめえにゃ何の恩義もねえが、家まで送ってやるからありがたく思え」


2006.12.12 up


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