一つ屋根の下では…
異人は怖い。異人は鬼。取って食われてしまう―――
祖母がそう教えた裏で、祖父は笑ってそんなことはないと優しく教え諭してくれた。
綱吉は優しい祖父が大好きだった。
厳しい祖母も怖かったが、敬愛していた。勉学の為に田舎から出てくる時はあの祖母がいつもの厳面を耐え難いように歪め、涙を隠していた光景が目に浮かぶ。
立派な医者になるのですよと送り出された綱吉は、お世辞にも賢い少年とは言えなかった。
だが真面目で気の長い性分が合ったのか、今ではそこそこ薬の扱いも慣れ、常連の客なら回診を任される程までになった。
と言っても―――
「そら行くぞ。グズグズするんじゃねえ!」
「う、うん」
それは一番弟子の隼人がついてこそである。彼は異国の医者である師の一番の弟子であり、師の国の父とこの国の母を持つあいのこだった。
兄弟子の隼人は出自のせいか苦労もし、いつも難しい顔をして口調も乱暴だった。紹介状を持って来た綱吉を睨め付け、たっぷり脅しつけたので最初こそなんて恐ろしい場所に来てしまったんだろうと泣きたくなったが、今ではその物言いにも慣れた。それに、医者としての隼人は師をしのぐほども才能があり、優秀な頭脳の持ち主である。尊敬できる兄弟子だ。
「今日は何処へ診療に行くの?」
「………」
兄弟子の、般若のような顔を見て綱吉は合点がいった。
「姐さん達の?でも、いつもは先生が………」
「そっちじゃねえんだよ。肺の病が重くなってる女郎がいやがんだ」
「ああそれで………」
師は腕はよいのだが、いかんせん酷い女好きだった。初でおぼこ(男でも未通というのだろうか?)な綱吉には少々、刺激が強すぎる。
あちらでいい女が居れば覗きに行き、こちらの未亡人が綺麗所だと俄然張り切って診察をする。そんな女色の罪まみれの師を潔癖症のきらいがある兄弟子の隼人は軽蔑し、腐りきった野郎と罵倒するが、医師の腕は確かなのである。
綱吉はといえば、度の過ぎた女好きにも呆れるばかりで怒る気力もない。マアマアと互いを宥める緩和剤のような日々を送っている。
隣を歩く隼人を見れば、色街に行くには少々薄汚い格好だ。
彼は非常に秀でた容姿を持ち、女達にも人気がある。綱吉が誘いの文を言付かった事は一度や二度ではない。最も―――出した途端眦を吊り上げて引き裂いてしまうのがいつもの反応で、一度として誘いに乗ったことがない。
「なんでテメエがもってくんだよ!」と噛み付きそうな形相で言われれば、それははいスミマセンと謝って下がる、ぐらいのことしか出来ない。(余談だが、隼人は綱吉がそうして敬語を使うと必ず同い年だろうがと怒鳴りつける。なかなか難しい人物だ)
同い年なのにもかかわらず、こうまで違うと比べるとか嫉妬とかいう感情は遠い。比べるのが申し訳ないほど男として、医者として隼人は優れている。
「隼人兄さん」
「なんだ」
「着替えてくればよかったのに」
「あぁ?」
「みっともないもの」
今の隼人の格好は、回診にいくようなものではない。
薄汚れた着流しに下駄をつっかけただけの、やさぐれた男。手に持った医療鞄でかろうじて医者と分かるだろうか………
ただ歩いていても無駄に絡まれる事の多い兄弟子を持ち、綱吉は気が気ではない。
「先生が下さった洋装があるぢゃないか」
「アホか。あんなモン着て行く場所じゃねえ」
「姐さん達は喜ぶと思うんだけどなあ」
洋装をした隼人はそれはもう凛とした、美しい青年に………見える。
いや、今だってそうなのだ。
見上げた横顔はなるほど、女性がうっとりするのも分かる色男っぷりだ。顔立ちそのものは華があって派手だが吊り上がった目元と薄い唇が容姿にきつさを加えている。睨み付けられれば男はおどおどと色をなくすが、少々「その気」のある女は腰が砕ける程「くる」そうだ。
師のおかげですっかり耳年増になってしまった綱吉は、これがねえ、なるほどねえと感心しながらじっと見つめていた。
「ンだよ。じろじろ見てんじゃねえよ先行くぞ!」
「はいはい」
明治の世である。ざんばら髪を括って歩く隼人と、小作りの顔にちょんと結び目を付けて尻尾のように振ってあるく綱吉は、昼の色街にたどり着いた。
流石に昼間は人通りも少なく、目つきの悪い細面の男と薬小僧装束の綱吉が揃って現れても、目にとめる者は無かった。
「ごめんくださいまし」
嫌がる兄弟子の手を引いて、綱吉はのれんをくぐった。鮮やかな紅の布がひら、ひらと舞う。
「これは先生の………」
「診察に参りました。そのぅ…」
「先生方、此方へどうぞ」
診察で数度来ていても、客に上がったことはない。些か緊張の面もちで草履を脱いだ綱吉の後から、隼人がのしのしと無遠慮に板敷きの廊下を踏みしだく。
「獄寺の旦那」
隼人の姓は獄寺、という。
「旦那もたまにはいらしてくださいまし。旦那のお姿をみかけていらい、焦がれて仕事が手に着かない女もいるんでございますよ」
「冗談じゃねえ」
「まあ………冷たいお言葉」
「俺は女を金で抱く趣味はねえんだ。襦袢ぶら下げてるみてえな、下品な店構えしやがって」
「女郎屋が上品でどうしますかいな。それに旦那ならお代は要りませんよぅ。好いた男に抱かれれば、女は磨きがかかるってもんです」
「いい加減にしろ」
頭の上でかわされる、大人の会話にすっかり頬を赤くした綱吉に二人の視線が集まる。
「綱吉の旦那もあと2、3年したら………いらしてくださいよぅ。いい娘を揃えてお待ちしております」
やめろクソ婆ァ、ガキに変な道教えんなと怒鳴りつけている隼人も、シナを作って片目を瞑る女郎屋のおかみも、綱吉が隼人と同い年であることを忘れているに違いない。
兄弟子の診察が終わり、薬を処方していた綱吉の耳に甲高い悲鳴が聞こえてきた。
色街名物の喧嘩である。客と客、客と店、女郎と客。無理を言う客には門前払いをくらわせる、敷居の高い店もある。現にこうして仕事をしているこの郭も、普通のそれとは段違いの店構え、造りをしている。
普通の店三軒を飲み込んで建てられたこの店は、女のつく部屋の他連れ込み宿としても商売しており、更に奥には位の高い政府の役人、大商人が取る秘密部屋もあるという。
「騒がしいな…」
「見てくる。お前は此処で待て」
兄弟子の隼人が窓から外を覗き込み、顔を顰めて出ていった。大方知り合いか何かだろう。
綱吉は細い肩を振るわせ、調合したばかりの薬を飲んでいる女郎に口洗いの水を差しだした。礼を言って含む唇からは紅がはげ落ち、おしろいもとれていたが十分に美しい。
「大丈夫ですか?」
しかし綱吉はまだ幼く、女に色を求めるより無意識に―――幼い頃流行病にかかって死んでしまった母親の影を追ってしまう。気遣わしげに背をさすると、女は儚く消えてしまいそうな笑みを浮かべた。
「胸の病は重いんでしょうねェ……」
「姐さん」
女は優しく微笑んでいる。
「貴女の病が悪くなったのは、きっと何か腹に悩みを抱えているからでしょう。俺はあまり頭が良くない方だけど、そういうのは察すると先生に言われました」
「まあ…」
「よければ話してみませんか?俺でお力になれるとは思いませんが、せめて気晴らしくらいにはなるでしょう」
「先生………」
綱吉に、欠点があるとすれば一番はこれだ。
彼はすり寄ってくる犬猫を放っておけないたちであり、同情心から厄介事に巻き込まれるのがことのほか得意であった。
2006.3.27 up
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