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特徴的な、甲高い声が途切れなく続く。久しぶり〜お前全然変わってねえなあ今何やってんの仕事?そーなんだハハハあー、えー、
えーって。
「…沢田だよ」
十五年振りに再会した元同級生は、確実に自分の名前を覚えていなかったに違いない。
始終あーとかえーとか、視線が泳ぎまくって終いに「ま、いいか」(こいつなら)っていうのが透けて見える脳天気な表情を前に、沢田綱吉は緩い笑顔を浮かべたのだった。
ひとしきり自分の近況を喋り散らした挙げ句、半強制的に携帯の番号を聞き出し、じゃあまた連絡するからな、あけておいてくれよと妙に繋がらない台詞を吐いて行こうとするのを、呼び止めた。
『あれ連絡行って無かった? 今度同窓会が…』
「ぶるるるる」
思い出すだに恐ろしい。ぬるいお湯に浸かりながら綱吉は首を振った。
同窓会?
冗談じゃない。
その単語を聞いただけで彼は震え上がり、語尾を曖昧に濁してその場を去った。悔やまれるのは、連絡先を教えてしまった事だ。何か適当な理由を付けて断らねば…そう、例えば、
仕事が忙しいとか。
急病になったとか。
全部嘘だけど。
旅行もいいかもしれない。今から計画を立てて……今年に入って初めての休暇だとか、言い訳は色々あるに違いない。
(絶対に、何が何でも行かないぞ)
ここまで強固な決意には訳があった。
その昔虐められていたとか、クラスのマドンナの現在の姿を見たくないとか、老いたる自分に自信が無いなんてなありきたりのものじゃなく――
すっかりぬるくなってしまった湯から上がり、狭いユニットバスで頭と身体を一気に洗い一気に流した。ついでに歯も磨いてしまう。
二年前まではこの短縮を相当嫌がられたものだったけど、今はその心配もない。
家には綱吉以外誰も居ない、正真正銘の一人身だから。
実に気楽なものだ。
負け惜しみなんじゃなく、別れは正しい選択だった。
自分には子供もいないし財産も無かったから全てスムーズに片がついた。
必要な書類を揃え、記入、判を押して提出。双方、荷物をまとめて引っ越し。たったそれだけ。
別に妻に不満は無かった…平凡な会社に入り、知り合った女性と三年付き合って結婚、きっかり三年後に離婚。
こんなもん、どこにでも転がっている人生だろう。
同僚は綱吉が離婚した事を今も知らず、家庭を持つ男の悩みを分けてくれている。
それに甘えつつ、当たらず障らず注意深く生きてきた。
特に色恋沙汰なんてのは…まあ、三十を越えた今は例え社交辞令だって誘いも少なく、お節介な連中を断るのに苦労した覚えも久しく無いのだが。
(昔は、なあ…)
小柄で童顔で主張の少ない綱吉は、学生時代からよく人員の穴埋めに使われた。
積極的に動くタイプじゃなかったので、こいつなら安全というのが男女共通の印象だったようだ。
ぼーっとしてれば時間は過ぎていくし、賑やかな場が嫌いなのでもない。
それでも、いつでも、奇妙な罪悪感めいたものが心の中にあったのは確かだ。
その原因について心当たりもあった。
昔、一度だけアヤマチってものを犯した事がある。
相手は同級生…どころか友人だった。
少なくとも、自分はそう思っていた。今でもそう思ってる。許されるなら、だけど。
これが普通の相手なら、ウツクシイ思い出青春の一ページとするのに吝かではない。
相手が、同級生の男じゃなかったら。
(頭痛い…)
思い出すといたたまれなくなるので極力忘れるように努力しているが、生憎その体験は強烈過ぎた。
十数年経った今も記憶は鮮明で、事あるごと蘇って綱吉を苛んだ。実のところ、元妻と付き合っている頃も、その新婚のベッドにまでおっかけてきて、非常な後味の悪さを彼に残すのだった。
満足していないわけじゃない。
ベッドを共にする相手にいちいちバレる訳でもない。
今現在も秘密を知るのは自分と彼と二人だけの筈だった。
(言いふらすタイプじゃないな…)
義理堅い人物である事は確か。
今では社会的な地位もあり、はっきり言って有名人だった。同級生の中では一番出世したんじゃなかろうか。
中学、高校と野球少年として道を進み、甲子園を経てプロ入り、メジャーリーガー。
テレビでも新聞でも良く見る。渡米後僅か数ヶ月で有名雑誌の表紙を飾るモデルと結婚。その後大きな怪我も無く活躍は続く。
巨額の年俸と企業との契約。好青年なキャラクター、やりすぎない程度のCM出演。
どれをとっても完璧なのに、何故か学生の一時期だけおかしくなった。その彼が帰って来るから、元クラスメイト達は全員集まるべきだと招集がかかったらしい。
『来るんだろ? おまえ運動部でもないくせにやたら仲が良かったじゃないか』
そうそう。
自分は運動も勉強も苦手な劣等生。
むこうは部活に全てを注ぐ野球少年、クラスのヒーロー。
バレンタインに靴箱がチョコでいっぱいになるような。
話すようになった切っ掛けは放課後の補習だった…懐かしい…あんまり懐かしくて涙が出そうだ。
「…いやいやいや」
やっぱり、会えない。
向こうだって会いたくないだろうし。
自分は彼の言わば過去の汚点である。
責められたくない。逆に何事も無かったように友人扱いされるのも嫌だ、それはそれで傷付く。
(まだ引き摺ってんだ…いい加減執念深いよなあ俺も…)
「沢田クンおはよう!」
「………おはよう」
名前を思い出してくれたのは嬉しい。しかし何も朝からやってくる事はないんじゃないかと思う。
「あのさ…俺言ったと思うけど」
方便だった筈の旅行は、今や俄然真実味を帯びてきた。この場から逃げるためなら、俺はなんだってしただろう。いっそ海外にでも行きゃあ良かったか。
「だって何年ぶりだと思う?」
「そんな大事な場に、親友のお前が居なくてどうする!」
「お、沢田いいトコ住んでんじゃん」
人数が増えている。
確かに、記憶に残る顔に歳月というフィルターをかけたらこうなるだろうかと予想範囲内のくたびれたオヤジが三人。
懐かしいと言えなくもない。
「親友って…そんな。野球部の連中は?」
「馬鹿野郎、野球部なんか呼んだらただのOBの親睦会になっちまうだろうが。これはクラス会!」
「はあ」
「友達甲斐のないやつだ。奥さんが煩いのか?」
「二年も前に別れたよ」
「……」
沈黙と引き攣った顔つき。
ざまあみろ、と意地の悪い感情を抱く。そうだ、俺は妻に捨てられ(これは嘘。やたらハイテンションな離婚だった)傷付いた哀れな男なんだから、そんな気持ちにはなれないのだ。
「そうか…辛かったよな」
「泣きたいなら泣いてもいいぞ」
「円陣組もうか」
沢田、ファイッオーファイッとか玄関先でやられ、綱吉は慌てて家の中に彼等を引っ張り込んだ。近所迷惑である。
「それならなおのこと行くべきだろ!」
「だから…」
「青春を取り戻せ沢田!」
「そうだもう一度アタックしてみろ!」
「えっ」
まさか知られているのか。
引き攣った顔で振り返ると、三人はニヤニヤ笑いを浮かべ、口を揃えて言った。
「笹川も来るって言ってたぜ」
「………ああ」
笹川というのは当時クラス、否学校で一番の美少女で性格も完璧という奇跡の存在だった。
綱吉も彼女に思いを寄せる大勢の一人であり、そしてそれは皆が知っていた。
綱吉は恋愛においても不器用な男だった。態度で丸わかりなのである。
そうなんだ、懐かしいなと口元を綻ばせると、三人はそれを了承の合図と受け取ったようだった。
やれ顔を洗え、ヒゲを剃れと嫁みたいに世話を焼いた挙げ句、半ば強制的に連れ出されてしまった。これから空港に迎えに行くのだという。
「えええええ」
直接会えって、そういう事か?!
しかも一番に?
だから、なんで俺を引っ張り出そうとする???!
「だってさ、正直何話したらいいか分かんなくねえ?」
俺だって分かるワケないだろうそんなもの。
2008.5.27 up
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