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はいこれ、良かったら……そう言われ手渡されて初めて、今日がその日だというのを知る。
相変わらず俺はこういう行事だの日取りだの、本当に心底疎いらしい。
結婚記念日、誕生日、付き合った記念日、出会って半年の日……だったか?
何もそんなに決めなくてもと思うくらい。なになにの日ってやつが多いのだ。
どうりで近頃見かける店のディスプレイの殆どが赤やピンクのハートで満ち満ちていたのだ。そういえば。確かにね。
そりゃ、気付かない俺が悪いよな。
「ありがとう」
ぺこりと頭を下げて去っていく女性社員。
別に彼女は俺に対し何の好意も持っていない。仕事上の仲間、ただそれだけ。このフロアで仕事をする全ての男に対し配ってまわる類のもので、特別な意味などない――おっと。来月の十四日は忘れずお返しを渡さねばならないのだ。手帳のスケジュール欄に書き込む。そして――
席に戻った所で悩み始める。
別に甘いものがキライなワケでも、今の彼女に好意やそれに類する下心があるわけでもなく、まして一ヶ月後のお返しが恐ろしいのでもなく、単純に自分の落ち度に。
こんな事を二月十四日に悩む男もどうかと思うけど、俺は。
(チョコレートを買いに行くべきなのか…?)
結構気にする方なんだなと、つい最近知った。
世間でのイベントごとにきっちりプレゼントをしてくるし、明確な言葉も要求する。
(そんなタイプだったかなあ…)
性格変わった? と尋ねても、笑って誤魔化されてしまったが。
でも、今から買いに行って航空便で送ったとして、絶対間に合わない。
多分俺が送るべきと思われる(立場上の問題)相手は先月海を越えてしまい、今現在まったく会える見込みは無い。会いに行く予定もないしな。
(…次だって会えるかどうか)
ふとした隙間に、ぬるりといじけた気持ちが入り込んでくる。
調整や交渉やその他諸々の面倒を行ってこなす度、毎朝毎晩寂しい、と電話を寄越す相手に。
何を疑うのだと言う自分と、当たり前だと喚き散らす自分が居る。
(考えてもみろ)
社会的立場を考えたら絶対にまずいといのは明らかな上、双方にとって絶対にプラスにはならない。
シーズン中は(そうでなくても!)毎日テレビに顔を出すような相手と、何の取り柄もない会社員の自分がただ同級生だというだけの接点で関係を持っているのは、やはり正しくない事なのだ……
「わだ…さん! 沢田さん!」
「え?」
通路を歩いている時だった。
振り向くと別の部署の女子社員が、コピー用紙の束を持ち立っている。
「総務部の沢田さんですよね?」
「…ああ。そうだけど」
今にも手から零れそうなそのぶ厚さを見てめずらしいな、と思った。
新しもの好きの社長が近頃やたらエコだのペーパーレスを叫ぶので、社内では書類が姿を消していた。
かく言う自分も、たいして要りようではないのに全社員色の統一されたビジネスブラックの端末を押しつけられ閉口している。
「これ、もし良かったら」
先程の女性社員より数倍歯切れの良い言い方で、彼女はコピー用紙を手渡してきた。
反射的に受け取ると、軽い。
「あれ?」
此処にいたりようやくそれはコピー用紙の束などでなく、薄い色の包装紙の包みである事が判明。
更に見覚えがあるようなその模様。
(いや高いだろこれ)
今はなき妻(いないという意味。死んだんじゃないよ!)から毎年受け取っていた物に相違ない。値段聞いてぶっ飛んだから絶対に忘れないぞ。
しかも結構な大きさがある……
「えー…と。あのー」
「受け取ってくれたら嬉しいです」
パニクった頭でおろおろと視線を揺らしていると、クスリと笑う気配がした。
顔を上げる。若い、綺麗な子だ。
「私の事知らないですよね?」
「う、あ、ごめん……俺何かした?」
社員食堂もないこの会社。部署が違えば殆ど顔を合わせない。
これだけ美人なら他でも噂になってるんだろうが……生憎この半年それどころではなかったので、まったくもって会社の情勢に疎い。
うん。記憶にございません。
「すみません、私が勝手に見てただけです。素敵な人だなーって」
「ええと……それは無いよね。俺こんなだし」
「そんな。そんなこと。ぜんぜん」
(結局受け取ってるし)
勢いに圧されてつい「ありがとう」と受け取ってしまった後、戻ったところで同僚にもみくちゃにされ、腹に一発入れられた。結構本気だった。
散々からかわれた後、一人になった瞬間海よりも深く後悔の念に沈んだ。何受け取っちゃってんだ俺は。そういう優柔不断な所がほんと、ダメなんじゃないのか。
(最低だ…)
一方で送る事を考えつつ受け取る。
この矛盾をどうしたら良いのだろう。
大体彼女が惚れたのはかなり遠くから眺めた俺らしいし、さり気なく趣味の良い小物とか靴とかそういうのは全部貰い物だし、貰った相手がそもそも…だしな。どうなんだそれ。
(馬鹿みたいだ)
二つのチョコレートで膨らみいつもより嵩張る鞄を持って電車に乗り、すっからかんで一人きりの部屋に戻る。
いなくなって随分日数が経つというのに、未だに一人に慣れないというのは異常だと思う。それまでずっと一人暮らししてきたのに。
そこかしこに残った私物とか、洗面所に置かれたシェーバーや歯ブラシやとにかく全部が息苦しい。台所に立てば、居間のソファーに寝転がっても、寝室の扉でさえいたたまれない。こんな、こんな狭い部屋で。
鞄を投げコートを脱ぎかけた時、インターホンが鳴った。
お荷物ですよ、と言われ、今入って来たばかりの玄関でぼーっと待っていると、外に人の気配がした。
「今開けます」
汚いサインで受け取りを済ませ、持って戻る途中で気付く。
差出人も宛名も全部英語じゃないかこれ。ってことは?
「……ああ」
足下から崩れる感じがして廊下に座り込んだ。
テープで頑丈に補強された、なんの変哲もない茶色の箱。
しかし中を開けると国内のそれとは比べものにならないほどきらびやかな包装が現れ、リボンにはカードが挟まれていた。
隅の走り書きの文面を目で追うごと手の震えは酷くなっていき、おさえるために唇を噛む。
ああ、なんだ俺、結局は――。
番号はもう、そらで言えるのだ。
震える指でボタンを押しながら、頭の中は縋るような謝罪の言葉でいっぱいだった。
通じた瞬間泣き出しそうになり口を押さえる。息を吸い、名前を呼ぶ。
2011.2.11 up
会いに行く(全4話)
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