会いに行く

 

 球団付き医師による簡単な診察の後は、病院にて検査、検査、検査。
 診断がつくと、ようやくつめていた息が漏れた。全治二ヶ月。シーズン終わりにギリギリ間に合うか、というような微妙な時期だった。
 思ったより酷い事にはなってない。
 プロ選手に怪我は付き物だ。
 分かっていても、心配だった。体の事だけではない。

 山本という男は、プロ選手としては一流の心構えを持っていた。
 自分が海外に渡らせた者達の中でもトップクラスの実力と熱意を持ち、調整も自身でこなす。不摂生はしない。本当に、心底、野球が命なのだ。
 反面決めたらテコでも動かない強情さがあり、休養や欠場を極端に嫌った。
 以前の負傷時にはコーチや医師の指示を無視して練習を始めてしまい、結果的に復帰は大分早まったものの、こっちは監督やコーチから大目玉をくらった。
 勿論それに輪をかけた雷を落としてやったが効果は薄く、本人は笑っているだけだった。
 ――だってオレ、野球しに来てるんだぜ。
 ――こんな遠くまで。
 屈託無く笑う顔を見ると怒りは失せてしまう。
 困った。
 どうしたら言うことを聞かせられる? まったく、どうしようもない子供だと。
 契約時に挨拶に行った父親の話によれば、練習好きはジュニアチームに入っていた時から変わらないらしい。
 このぐらいの歳になれば――そして彼程の知名度と評価、それに見合うだけの稼ぎになれば、追いかけるものは色々とあるだろうに。
 プライベートでは寧ろ大人しい。
 声をかけられて気が向けば応じる程度で、何事にも一歩引いたような所がある。
 他の大勢の選手が行っている事業や経営などにも興味があるようではないし、一時期世間を騒がせた女性関係も、離婚以来自粛しているようだった。
 品行方正、というのではないが。
 山本は未だに白球を追い続ける男だった。
 キラキラと輝く少年めいた瞳。前だけを見据えて走り続ける彼は、そこに居るだけで観衆を熱狂させる。
 そういう素質を持った男は少ない。
 まして海を越え、メジャーという大舞台で在り続ける事は。

 選手としての盛りであり、良い成績を残していた今季だからこそ、体を大事にして欲しかった。
 むっつりと黙り込み、地面を見つめる横顔に声をかける。
 そんな顔をしていると普段の陽気で屈託ない、親しげな雰囲気は、表情によるものだと思い知る。
 唇を引き結んだ厳しい顔。
 その目は少し虚ろな感じがし、分かっていても足が止まった。
「……辛いだろうが。こればかりは…」
「分かってる」
 背筋が粟立つ。
 拳を握り、もう片方の手で包みながら、辛抱強くあろうとしている。
 まだ少しは笑う余裕もあるようだった。
「オレは平気だけど、チームがな。こんな時に抜けるなんて」
 昨年は地区優勝こそ逃したものの、チームは良い成績をあげた。
 今年こそはという意気込みで臨んでいるこのシーズンに。
 気持ちは痛いほどに分かるが、あえて現実的な話をする。
「今は体の事だけ考えろ。今年で終わりじゃないぞ。契約はあと二年あるんだ」
「二年かぁ……」
 長ぇなぁ。
 続いた言葉は思いも寄らぬもので、驚き目を見張った。
 彼は常々チームの勝利を、優勝を願い、力を尽くしていたように見えたからだ。
 また可能な限りプレイし続けたい、とも言っていた。
 何か契約に不満があるのか。
 思わず聞き返すと、山本は緩慢に首を振り、否定した。
「違う違う、そうじゃなくて。なんつーか、戻るのもアリかなって」
「日本にか?」
 衝撃で働かない頭の熱を、涼やかな声が宥める。らしいと言えば究極にらしい答えが返ってきた。
「オレ、野球出来たらそれでいいんだ」





 初めに手順を聞いた時は何でわざわざと思わなくもなかったが、こうして見ると成る程と思う。
 小さな地方空港。人が少なく、手続きが早く、ゲートも分かり易い。
 人目を気にしなければならない彼のような人には、確かに便利だろう。
 慣れないスーツケースに手こずりながら、綱吉は流れの中から抜け出した。
「はあ…」
 海外旅行は初めてではない。家族や、会社で何度か行った。
 それでも一人というのは初めてで、更に待ち合わせている人物は初対面。
 人見知りで臆病な綱吉にはやや高いハードルだったが、コトがコトなので足を運ばざるを得なかった。ニュースで見て以来ずっと気にしていたのだ。
 迎えはもう来ている筈だが。
 綱吉は視線を巡らせ、それらしい人物を捜した。あの人だろうか――ベンチに座っていた男が、手にした新聞をくしゃりと丸めて立ち上がる。
「沢田、綱吉君だね?」
「あ、はい」
 やっと本人に会えるという喜びも、今彼がどんな様子なのかという心配に埋められていた。
 それに自分をはるばる日本から呼び付けたこの人物が、一体どこまで知っているのかという事も心配であり、要するにびくついているのだった。
 しかしそんな綱吉の不安を打ち消すように、相手は快活な笑顔を見せた。
「長旅で疲れただろうけど、早速いいかな。車を待たせてあるものでね」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
 頭を下げるついでに懐からありもしない名刺を出しそうになり、ぐっと握る。
 煩いほどに鳴り出す胸の鼓動を抑え、深呼吸して向き直ると、男はきょとんとしていた。
「懐かしいな…」
「え?」
「ああ、こっちは握手だから。そうだよね、挨拶も未だ」
「いえ」
「初めまして」
 曖昧な笑顔で応対しながら、綱吉は控えめな興味で相手を観察する。
 山本の専属エージェントだという男は、恐らく自分の父親と同じか少し上くらいだろう。
 背が高く恰幅がいいし、オフだと言いつつスーツ姿だ。いかにもやり手そうな、弁の立つタイプで、電話越しに自分に渡米を打診してきた時の強引さも垣間見えた。
 車に移った後もその視線はニコニコと、しかし油断なく自分を見つめている。
 雇い主にとって有益な人間かどうかを見定めているのだろう。
「わざわざ済まなかった。彼が、どうしてもと」
「いえ。丁度休暇も重なったし、一度来てみたかったので」
「そう言って貰えるとホッとするよ」
「怪我は酷いんですか」
 笑みを浮かべてはいるものの、その目には一瞬の翳りが見えた。
 青ざめる綱吉にいやいやと手を振って、男は手を置いた膝を撫でる。
「単に膝の故障だ。そう重いものじゃない……医者も保証した。走り回るとまではいかないが、大事を取って二ヶ月休ませる事にしたのさ」
「…そうですか」
「綱吉君は」
 普段、身内や友人以外で名前を呼ばれる事はない。
 くすぐったい気持ちで目線を上げると、男は柔らかい笑みを浮かべている。
「中学生の頃からの友人なんだって?」
「はい。同じクラスで、補習仲間でした」
「部活も一緒だ」
「いいえ」
 首を振る。
 意外そうな表情が胸を刺した。
「運動は駄目なんです」
「そうなの? や、てっきり…」
 それどころか。
 何度か応援には行っている。
 ルールはかろうじて知っている程度。
 興味が無いわけではないのだが、それは山本がその場に居たからで、ゲームの行方より彼一人目で追っていた。
「仲は良いんだろう?」
「た、多分…」
 曖昧な言葉に男は吹き出した。
 冗談だと思ったのかも知れない。綱吉は大真面目だったのだが。
「君面白いねえ。其所は親友って言ってあげなきゃ武が可哀想だ」
「あはは…」


2011.9.7 up


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