会いに行く

 

 彼を呼び寄せる事に躊躇いも、遠慮も無かった。
 それが山本の望みだという事。

 何かして欲しいことはあるかと問えば、帰国をと言われた。
 今更ホームシックもない年月過ごしている。治療目的でない限り、例え怪我で出場が難しくとも、シーズン中にホームを離れるのはよくない。分かっている筈なのに。
 他の人間なら叱りつけている。迷ったのは、それが初めての我が侭だったからだ。
「それは…」
 出来ないと、たった一言声に出せない。
 一見すれば冷静に見えるその目が、静かな苛立ちをうつしている。
 思い通りにならない体への怒り。
 自由の利かない身分。
 それら全てを飲み込んで、吐き出さないのがこの男の性質だった。チームメイト、友人、カウンセラー、妻にまで――そして長い付き合いの自分でさえも――彼の心を覗く事は不可能だ。
 自身で完璧な調整を仕上げる代わり、頼らない。
 信用していないのかと口惜しい思いをした事もあるが、長い付き合いの末、それが彼の性分である事は理解している。
 そんな相手がぽつりと零した名前。
 耳聡く、しつこく確認を入れるのは当然のことだ。
「この間世話になったっていう友達かい?」
「ツナに会いたい」
 両手で顔面をおおったまま、山本は再度その名前を繰り返した。
 ならばどうするかなんて決まりきっている。



 見れば見るほど、話せば話すほど相手は予想と離れていく。
 はるばる海を越えさせてまで呼び付けた男は、万事控えめで大人しい青年だった。
 小柄で幼い顔立ちも手伝い、とても山本と同い年には見えない。
 日本で会社員をしているという説明だったが、外見はまだ学生と言っても通りそうな若さだ。

 彼は時折不安げに外の景色を見ている。
 話を向けるとしっかりと頷きながら聞き、尋ねれば答える。
 内容は普通なのだが、か細く通りにくい声のせいで怯えているような印象を受ける。
 緊張を解そうと山本の話などを振ってみるが、他の友人、親類、その他彼に関わる人間のように質問する事はない。柔らかい笑みを浮かべて黙っている。
 唯一怪我の事は心配そうだったが、一度の説明で済んでしまった。しつこく聞き出すとか、大仰な嘆きもない。
 何もかも今までと勝手が違っていて、ひょっとしたら苦手かもしれないと思う。
 悪い人間でないのは分かるが――思い通りにならないというか。
 反動か、言葉が次々と沸いて出る。
 たいして意味のないもの、どうしても知りたい要点、全部織り交ぜて矢継ぎ早に。
「こっちで会うのは初めてなんだね?」
「はい。あの、会ったのも、最近で。久しぶりだったんで」
 その辺りの事情は知っている。
 離婚が正式に決まる少し前だ。
 周囲の騒がしさに使っているマンションも、実家も戻れないと、結果彼の所へ転がり込んだらしい。
「あんな図体のでかいのに来られて、大変だったろう」
「そんな事は」
 久しぶりに会えた、来てくれて嬉しかったと笑う。
「ただ俺一人暮らしで。家狭くて、申し訳なかったですね。山本大きいから…多分、山本の方が大変だったと思います」
「一人?」
「あ……」
 色々あって、今は。
 微妙に視線をずらしての告白は、彼の性質をうつすように控えめなものだった。
「なるほど。話はあうわけだ」
「ええ、まあ」
「是非私も仲間に入れて欲しいものだね」
 一人者同士がする話は決まっている。
 不躾にならない程度の興味でもって見つめられ、つい口が緩む。
「三回やって三回駄目だったからな。向いてないんだろうな」
 彼はなんとも形容し難い複雑な笑みで、返答とした。


2011.9.7 up


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