会いに行く

 

 杖をつく姿を見て息が詰まった。
 どくどくと動く心臓の裏に、いきなり氷をあてられたようだ。
 強い、明るい笑顔ではなく、彼が何か弱っている姿というのは心臓に悪い。まるで――
 広い家の中へ招かれながら考えていたのは。

「無理言って悪かったな」
 卑怯だと思う。
 綱吉は俯き、所在なげに視線を彷徨わせる。
「…無理じゃない」
 ようやく絞り出した声はみっともなく掠れていて、焦燥がじりじりと腹を灼く。
 そりゃ、俺だって会いたいと思ってたんだ。
 テレビや雑誌でしか顔が見れない今の生活はうんざりで。
 いないのだと、我慢しようと思っても、看板だのCMだの夜のスポーツニュースだの友達からの電話で思いだして置いてった物も捨てられなくて、身動きが取れないままどんどん考えが一つのことに浸食されていく。
 大人になってから、そんな事は無かった。
 というより、あってはならない事だと思っている。思春期でもあるまいし。好きだの嫌いだのそういう、感情、衝動、に、振り回されて身の置き所をなくしてしまうなんて。
 誰かに依存した意識など恐ろしくて持てない。だからわざと電話を取らないでいようと思ったり、実際そうしていた。
 耐えられなくて受話器を持ち上げてしまう寸前までは、確かにそう思っていたんだ。

「荷物置けよ。適当にくつろいで」
「お、お邪魔します」
 すっかり家に入ってからお邪魔しますもないもんだ。
 案の定山本は振り返り、笑った。此処に来て初めて見た彼らしい明るい笑顔だった。
「広い…ね」
 改めてぐるりと見渡すと、すごかった。テレビで見る有名人のお宅拝見海外版を地でいってる。
 ただ家具の殆どが基本のもので、おおよそ飾りという飾りがない。
 恐らくは建築時に備え付けられたものをそのまま使っており、殺風景だった。モデルルームよりまだ愛想がない。
 花も水もない大きな鉢の底には、乾いた小石と埃が詰まっていた。
(人ん家で何見てんだ俺)
 何気ない風を装って視線を逸らしたが、少しばかり遅かったようだ。
 山本は鉢を覗き込み、可笑しそうに笑った。
「わり。オレ、掃除とかしねえから」
「そりゃ動いちゃダメだろ」
「前はプロに頼んでたっぽいけど。そういや、誰がしてんだろうな、掃除」
「え、分かんないの?」
 自分の家なのに。
 そう言うと、山本は首を傾げている。
「なんかそういう感じしねえんだよなー…」
「ふーん…」
「今でも目が覚めるとき、オレの部屋にいる気がする。寿司屋の二階でさ。で、目ぇ開けてびっくりする事ある」
「あ、それちょっと分かるかも」
「だろー?」
 落ちつかねえんだよな、とぼやくように言って部屋を見渡す。
 初めて入った綱吉以上に物珍しげな視線だった。

「でもそういうの、ちょっとあるよね。今まで居た人がいないとなるとさ」
 思いっきり『?』と書いてあるような顔で振り向かれて可笑しくなる。
「メシは炊けるんだけどおかずがないとか。俺の時は三日連続卵焼いて、終いにキレた」
「へえ」
「山本は、作ってくれる人が居るんだっけ?」
「まあな。オレこっちのメシはどうしてもあわなくて。今も店から弁当とってる」
「こんなに大きな台所があるのに」
 やろうと思えば出来るんだろう。そんな気がする。
 父親の仕事を手伝っており、魚は捌けるというような話をした記憶がある。
 残念ながら中学生の調理実習で魚を捌く機会はなかったので(理科ではあったかもしれない)腕前を見る事は出来なかった。
「でも、プロ選手だもんね。体大事にしなきゃならないんだ」
「そういうのでもねえけどな」

 穏やかに笑うその顔を見て一瞬だけ安心した。
 さっき感じた印象はやっぱり気のせいだ――そう思いたいだけなのは自分で分かっている。先程から、山本は決してある距離以上近付こうとしていない。
 多分、一人で居る時の綱吉はまだまだ理解の足りない、接し方すらぎこちない母国の世間体や常識というものに囚われている。会わない方がいいのじゃないか、別れた方が互いの身のためではないのか。
 だがこうして会った相手がそっけないというただそれだけの理由で分かり易く不機嫌になるというのは、それはどうなのだろう。しかも、ならこちらからと身を寄せる事も、拗ねた口をきいて誘うという(だがそれは高等技術だ…!)行為もせず、ただじっと待っている。この時間の無意味さは。

「ああ、そっか」
「えっ?」
 脈絡無く納得されてビビる。
 山本はカコンカコンと切っ先の鈍った音を響かせつつ、台所へと移動した。
 慌ててその背を追うが、飲み物を取り出すだけだからとその場に留められる。
「それだ。弁当箱」
「弁当箱?」
「回収に来るんだけど、その時洗濯物も綺麗になってる。多分掃除もしてってくれてる」
 ビール、コーラ、ソーダ、オレンジ、水。
 呪文のように続く言葉から拾って唐突に「コーラおねがいしまーす!」と言ってしまった。
 飲み会用の、とっておきの張り声だったのに。
 今の綱吉はこの動かない事態をどうにかして揺さぶってどちらかに蹴倒してしまいたい気持ちだったのだ。
 だってはるばる海を越えて遭いに来た反応がコレでは、呼んでくれたエージェントのおっさんも俺も俺の想いも浮かばれないと。
 案の定山本は盛大にびくっと背中を揺らして、真ん丸い目で缶を渡してくれつつ振り向いた。
「ツナ」
「…うん」
「そんな大声出せるようになったんだな」
「まあね」
 感動の場所が違うような気がする。


2011.9.7 up


文章top