03.
「相変わらずしけた面してんなァ…!」
(そっちこそ)
相変わらず腹の立つ笑い方をする。てめえの親父そっくりだなと――言うのがそもそも億劫で、まな板に視線を戻す。
「うるせぇな。何の用だよ」
「何ってオレの店じゃねえの。様子ぐらい見に来るって…! それとも」
見られちゃマズイもんでもあるのか――
分かりきった展開に、思わず眉が寄る。こいつは全部承知の上で、オレをからかいに来たらしい。
暇なのだ。どうしようもなく。
言っておいた方がよかったのだろうかと思う反面、そんな顔色を窺うような真似はゴメンだという意地も顔を出す。
別に自分は望んで此処に居る訳ではない。いつでも出てってやる、という気持ちだ。
だからこそこうまで強気に言える。
「別に問題はねぇ。ここはカタギの店なんだろ?」
「人足んないなら言えや。幾らでも都合つけてやるのに」
「足りてるよ。十分だ。余してるぐらいだぜ」
あの少年が来た夜から数えて……七日。丁度一週間になるか。
元々暇な店である。
やる事は限られているし、どうせ日中は上にこもるか、出てもパチンコ。
負担は感じていない。
あれは手がかからない子供だった。
彼との同居は、苦ではない。自分でも不思議な気はするが。
一人暮らしの長い自分にとって、他人との生活は面倒だろうと思い込んでいた。しかしあの少年は食事時以外殆ど家に居ないし、居ても静かである。
テレビを見たり本を読んだり、普通の事しかしていない。夜はすんなりと床につき、無遠慮な質問をしてくる事もない。
今は何処へ行っているやら……尋ねても曖昧に笑うだけで、答えてはくれないのだ。
「問題ないだろう」
もう一度繰り返すと、和也は――店のオーナー様は、何故か険しい表情をしていた。
「わざわざ男引っ張り込む必要はねぇだろぉ…!」
「はぁ?」
「オレへの当てつけか…? あの噂が気に入らねーとか」
「噂?」
「オレがお前囲って店やらせてるっていう…」
「アホか!」
力を込めたせいで、固い桐のまな板にざっくりとした傷が出来てしまった。
キュウリを切っていただけなのに。
「てめえから否定しろっ…!」
「やっぱそう見えんのか…オレたちって」
「ンなワケねーだろバカ」
博打のカタにこいつが要求したのが、何故か労働だったというだけだ。それもこんな中途半端な形で。
「バカってお前。酷くねぇ…?」
甘ったれた言い方に鳥肌が立つ。
(それともこいつ、そういう趣味なのか?)
女侍らせて店に来たりするから、てっきりその方面はマトモかと思ったんだが。
疑いを眼に込めてじっと見つめると、またあのニヤニヤ笑いが戻ってきた。
「言っとくが、ただのガキだぞ」
「え、カイジそっちの趣味なの」
「違う…!」
ごとん、と音がしてレモンが半分流しに転げ落ちてしまう。
畜生。
まな板仕事を放棄して、煙草に火を点ける。客用に出していたボトルからグラスに注ぎ、一気に煽る。
強い酒が喉を焼いた。
はっきり言って不味いと思う。
こんなものに数万出すやつの気が知れない。しかし雇われ店主の身なら、タダ酒飲まないのは損だ。
(あービール飲みてえ…)
「フラッと入ってきちまったんだよ。真夜中だぜ。何か事情があんだろうよ」
「ふーん…」
それきり和也は興味を失ったようで、唐突に新しい事業の話をし出した。
悪癖は直らず、趣味の悪い遊びにかける金は膨大。だがそれ以上に入ってくる。あの親父同様、金儲けの才能だけはあるらしい。
次々新しい企画を出して成功しているが、概要を一々自分に報告してくるのだけは謎だった。
大抵えげつない話だし、そもそも無学な自分に経営が分かる訳もない。
「だからオレそういう話分かんねえって」
「いいから聞けよ…!」
その顔は子供が『いいこと思いついた!』と言う時と同じだ。
内容がちと血腥く、やり方が汚い事を除けばだが。
こっちが口を挟む間もなく一方的にベラベラと喋りくさって、開店時間寸前に和也は帰っていった。
おかげで何も準備が出来ていない。
飾り付けのレモンは真っ二つのまま転がっているし、つまみの準備も中途半端だ。
もう今日は閉めちまおうかなどと――開ける前からやる気のない事を考えていると、物音がした。
二階の扉が開き、其処から降りてくる人影を見て初めて、アカギが上にいた事を知る。
いつの間に戻っていたのだろう。
入り口は一つしか無い筈なのに。
「お前、どっから出入りしてんだ?」
少年は無言で上を指差し、ふいと視線を逸らしてカウンター上のグラスを見つめる。
「え、窓? 嘘だろ?」
「さっきの人誰」
来客には気付いていたらしい。
話したことを聞かれただろうか。あまり教育には良くない話ばかりだったような気がする。
「すごい車乗ってったけど」
「この店の持ち主。つまりオーナー様」
あのリムジンを見たなら、当然浮かぶ疑問だろう。
作業に戻ろうとすると、脇から手が伸びてきて野菜を摘んだ。
「カイジさんは…」
「オレは雇われもんなの。腹減ってんのか?」
「うーん。そうかも」
それで決まった。
開店時間を遅らせる事にして、そのまま食事を作り始める。
完全に開き直った気持ちで包丁を振るうと、不快な話もあのニヤニヤ笑いも、全部後に置いておける。自分のついた小さな嘘も罪悪感無く流してしまえるのだ。
「あ。その苦い葉っぱ抜いて」
「オレは好きなんだ。自分で皿から分けてくれ」
真っ白な髪。
色の薄い瞳。
年齢に合わない皮肉気な笑み。強い意志を感じさせつつ、何処か希薄な気配を漂わせる。
絶対に、こいつはただの子供ではないだろう。
< □
>
2010.4.20 |