05.

 

 得体の知れない少年を店に入れてしまった日から二週間近く経つ。
 ここでようやくカイジは彼が外で何をしているかが気になりだした。
(オレも大分鈍い…)
 分かっている。
 どうも自分は一本抜けているようだ。
 気になりだしてから物事を正しく認識するまで時間がかかる。賭けにハマっている時はそのタイムラグが極限まで短くなるのだが、普段の生活ではロクに働かないのだった。
 特に、当然の如く側にある物にはガードが緩くなる。
(アイツが堂々とし過ぎなんだよな)
 アカギは自分のペースを崩さない。相手が誰であろうと萎縮する事はない。
 年上である筈のカイジが叱ろうが怒鳴ろうが褒めようが、大して興味は無いようだ。
 それどころか――更に上から物を言われる事もある。
 妙に達観したその態度は、決して子供が大人を模倣するものではない。
 寧ろ逆の気がする。違和感は老成した雰囲気やこなれた発言ではなく、子供の格好、そのものが妙だと感じ始める。上向く視線が本来ならもっと高い場所にあるのではないかと捜してしまう。
 変な子供。
「またいつの間にかいねえし…」
 店は休みである。
 こういう時こそ同居人が増えた事による日常品の買い足しとか、あの着たきり雀の服を見てやったりすべきではないのか。
(いい加減布団ぐらい揃えてやった方がいいんじゃないか)
 成長途中の少年の体は、大きめのソファーにすっぽりと収まる。
 脱ぎっぱなしのシャツや上掛けが放られすっかり寝床になっているけれども、これも本当は良くない筈だ。
「よし」
 捜して、捕まえて、出かけるか。



 店を出たカイジの足は、自然と駅の方へと向かった。
 この辺りは殺風景だし、飲食店もそう数はない。
 この通りも殆どが酒を出す夜営業だから、用事は無い筈だ。とすると。
 あの年頃の子供が出入り可能な場所は限られている。適当にゲーセンでも覗けば見つかるのじゃないかと。
 深く考えずに歩いていたカイジは、思わぬ光景に出くわした。
 ちょくちょく足を運んでいる雀荘の前で、何人か固まっている。トラブルか。
 普段なら関わらない。
 すいと避けて行くだけである。しかし今回はそういう訳にはいかない。何しろ――
「あのバカッ…何やってんだ?!」
 人相の悪い輩を睨み付けているのは、捜している当人。
 囲まれているのはアカギだった。





(うわ)
 見るからにその筋の奴じゃねえか。
 同年代の子供に比べれば、アカギは成長している方だと思う。
 しかし大人相手は無理だろう。今にもぶっとばされそうだ。
 だがその表情は冷めきって妙に落ち着いている。心の底からくだらないと思っているんだろう。
 それで奴らも対応を決めかねているらしいが、無駄である。怒鳴っても凄んでもアカギには効かない。
 しょうがない。
 覚悟を決めて突っ込むと、視線がぞろりと此方を向いた。
「ンなトコで何やってんだお前っ」
「カイジさん…?」
 普通のガキなら少しは狼狽える筈だ。
 しかしアカギはこんな場面でもいつも通りである。澄ました顔で「偶然だね」などと言う。
「偶然じゃねえよ。捜してたんだぞ」
「へえ。なんで?」
「買い物だ。お前も手伝え」
「おい」
 怒気のこもった声がする。
 グイと肩を掴まれて振り向くと、もの凄い形相で睨まれた。
 怒りの対象は変なガキから突然現れた此方に移ったらしい。
(その方が分かりやすいよな…)
 恐がらせてなんぼの商売で、こいつらはガキ一人に気圧されているのだ。
 まだこっちなら通じると思われたのか。まあ当たってるけど。殴られるのは嫌だし、こういうのには極力かかわりたくない。なにしろ――
「ぐっ…ぁ!」
 鈍い音がした。

 殴られるのを覚悟で力を入れていた腹から、ぶはっと息が抜ける。
「何やってんだ本当に!」
「先手必勝って言うじゃない」
 アカギは目の前の男の脛を強かに蹴ると、痛さに蹲りかけたその頭に容赦なく膝を入れたのだ。
「やっぱりてめえ、ただのガキじゃねえな」
「ほら来るよカイジさん。後ろ」
 また息が抜ける。今度は殴られてだ。かろうじて直撃は避けた、が。
 結構痛ぇぞ畜生。
 間髪入れずに殴り返すと、キモチイイぐらい吹っ飛ぶ。
 全然足に力が入っていない。
 喧嘩する気などハナから無かったのだろう。
 そりゃそうか――ガキ一人シメるのに三人がかりで来るような奴らだ。
「あ、殴った」
「他人事みてえに言うな誰のせいだと」
「助けてくれなんて言った覚えはないけどね」
「このっ…!」
 生意気な口調に、一瞬殴る相手を変えようかと思う。
 思うだけ。
 流石にこいつは殴れない。勝てるかどうかも微妙で、逆にこっぴどくやられそうな気が…
 結局握った拳は、タイミング良く突っ込んできた最後の一人に向いた。

 

 

 

 

「お前のせいで怒られたじゃねーか」
 左頬がヒリヒリする他は、大体当初の予定通り買い物をしているわけだが。
 カイジの機嫌は往来での立ち回り以来、下降の一途を辿っている。結局店の人間が出てきて、クソ面倒臭い事になったからだ。
 店には身元が割れている。
 話は即ついた。己が死ぬほど嫌いな兵藤の名前が、こんな所でも幅を利かせているのを見るとうんざりする。
 しかし今は動けない。
 だからしょうがない。それに、こいつ。
「……」
 アカギをああいう状況に置いておくのは、危ない気がした。
 根拠のない直感のようなものだが。
 華奢な体に似つかわしくない、底の見えない気配。
 半歩先を行く背中を見つめながら、用心深く探る。
 あの感じ、今は綺麗に消えている。なんだろう。
「ねえ」
「あぁん?」
 あどけないとさえ言える顔で、アカギは振り返った。
「あの人ヤクザなの?」
 店の人間が名前を出したのを聞いていたらしい。
 あの時は適当に誤魔化したが、今は効かないだろう。
 それにどうせ周囲からバレる。あんな場所に出入りするような子供なら尚更だ。
「和也か……ヤクザよりまだタチが悪ィ。関わんなよ、絶対」
「ふうん」
「何か言っても無視だ無視。お菓子貰ってもついてくな」
「オーナーなんでしょ?」
「店もやってるってだけだ。あいつのやり口はあくどいなんてモンじゃない…!」
 へらへらしてると人当たり良く見えるが、裏は猟奇趣味の変態野郎。
 そんなもんに目をつけられたら、体どころか命まで持って行かれちまう。
「聞いてんのか?」
 現実その光景を目にしているカイジは、至極真面目に警告をしているつもりなのだが。
 アカギはじろじろと人の顔を眺め回した挙げ句、無遠慮に言った。
「引っ掛かった事あるんだ?」
「う…」
「やっぱりね。だと思った」
 生意気なクソガキめ。アカギは薄く笑って視線を逸らした。
 足を速め、すいすいと先を行くその背を追う。なんでこうまで偉そうなのか、どうしてオレの方がでかい筈なのにどんどん先へ行ってしまうのか、そもそもお前雀荘で何してた、等々。
 色々疑問は尽きないが、とりあえずやる事がある。
「こら待て荷物持ち。そのままバックレやがったら承知しねーぞ!」

 

 

 

 

2010.4.28